フレーミングは終わらない [雑記]
ことのは問題と俗に呼ばれるようになった一連の事件、始まったのがFlash発売前夜だとして3月上旬から、もう2ヶ月以上が経っています。その間、私個人としては4月から生活状況が急変したこともあり、また正直「ついていけない」との思いから手を引いた事もあり、しばらく遠ざかっていました。
しかし久しぶりにブログ界を徘徊してみると、どうやらこの件はまだ終わっていないようです。もちろん松永氏の脱会などについては、そんなに簡単に終わる・また終わらせられる話ではないのですが、どうも私はこの件に関しては、それ以上に嫌なことがあるのです。私にとってはそれはどうしても嫌なことなので、あえて今、話を蒸し返します。
フレーミングという言葉があります。
ある大学院生の一日:M1の4月 [雑記]
最近は毎日が充実しています。どれくらい充実しているかというと、毎日のように落ち込んでは倒れるように眠って次の日の朝には解決法が頭に浮かんでいるというくらいです。大学院の生活はとても楽しいものです。
しかしハードなのはハードなので、あんまり趣味の読書などは出来ていません。したとしてもそれは心の休息を取るためで、ブログに書けるようなネタを練るものじゃない。そういうわけで最近はあまり更新が出来ていませんでした。
けれど大学もGW休みに入り、GW明けのプレゼン用のレジュメも書き上げたので、ここらで一つ久々に更新でもしてみようかと思います。ネタがないので、大学院生活をネタにします。
ここに出てくる登場人物はすべて実在の人物、および実際にあったことを元にしていますが、当然のように脚色・誇張を加えています。私の目から見た、ヒジョーに身勝手な大学院サバイバル記録です。
くれぐれも本気で読まないでください。
人はブログという肉体をまとう:ゆえにコミュニケーションにも苦労する [雑記]
ここで一つ、「ブログとはネットにおける人間の肉体(body)である」という仮説を立ててみたいと思います。
先日、ジェフリー・ディーヴァーの「青い虚空」という小説を読みました。犯人はいわゆるハッカー、真に選ばれたコンピューター世界の住人、ネットとマシンの全てを知り尽くしてさらに自ら独創的なプログラムを書く事も出来るウィザード。しかし現実(リアル世界)との折り合いをうまくつけられず、殺人を犯すようになる。それに対して同じウィザードでありながら、やはり法に触れる事をして刑務所に服役していた男性が、一時的に警察の協力者となって犯人を追うというストーリーです。
普通のミステリはもちろんリアル世界において犯人を追跡するのですが、この小説では半分以上がネットでの犯人追跡の過程を描いています。
賞味期限のある服 [雑記]
これは今日、買い物に行って遭遇した広告のコピーです。他に「品質のよい服」「流行に沿った服」などのコメントが乗っていました。というわけで、上記の言葉も「ウリ」なのだと思うのですが、私としてはどうしてもひっかかるのです。それってウリなの?という部分が。
人の善意を前提としたシステムの結末:GripBlogの移転によせて [雑記]
お久しぶりです [雑記]
しばらく更新が滞ってしまいました。
年明け早々に体調を崩し、原因不明だったのでいろいろ精神的にもきつく、それから立ち直ったと思ったら2月にもう一度体調不良。こちらはホルモンバランスの崩れという診断が出ましたが、処方された薬の副作用で胃が荒れて、それはそれで大変でした。
まあどちらも病気としては重いものじゃないのですが、精神的に脆いもので、いろいろストレスを抱え込んでしまいました。いわゆる自滅というやつです。
あとSo-netブログが重くてログインできない問題・・・なんだか未だに解消されていないようですが、それもあってmixiの方をちょっと試したりもしていました。しかし、一月ほどやってみて、あんまり自分向きではないなーと。
元々秘密主義なこともあり、ネット上ではリアルの生活をあまり書かず、リアルの知人友人にはネットのことを知らせず、そういう態度でやってきた自分には、公開ブログとmixiの使い分けというものがあまり意味をなさないようです。
ま、根本的に友人が少ないという問題もあります。う"ー。
他にやっていたのは前の記事に書いた署名活動。といっても、最初のうちにがーっとまとめサイトなどを作って、あとは推移に注意していた程度です。おかげさまで順調で、そろそろ仕上げの要望書の書面づくりに着手しようかなという状態。
ただ・・・ダウンロードすればいいじゃないかという意見が途中なんどか散見されたのは残念です。ここでいうダウンロードとは、著作権侵害にあたる、著作権者以外の手によって音源を配布するという方法からのダウンロードのことですけれども。
私は本好きなこともあるし、自分も創作活動というものに対して思い入れがあるので、どうしても過敏になってしまうのですが、形のないものであってもゼロからモノを創り出す創作に対して金銭が支払われるのはとても大切なことだと思うのです。
形あるモノを手に入れることに比べて、形のないもの、コンテンツだとかデザインだとか、そういったものに対してはまだまだ人は、それがいかに苦労と苦心が注ぎ込まれて作り上げられたものかということを、実感できていない側面があるように思います。
ネット上には違法な映画や音楽やその他コンテンツのダウンロードが溢れていますが、単に金銭の問題じゃなくて・・・それはとても創作者の心を傷つけるものなんですよ。モノを作るというのは本当に大変な事で、それは誇りを支えに精神と心を削ってでなくてはとても出来ないことで、まさに命を注ぎ込むような作業なんですが・・・。それをコピーという方法で盗み取るということは、相手のむき出しの心、本当に弱い部分を容赦なくえぐる行為です。
こればっかりは、まだまだ加害者の権利のほうが声高に叫ばれて、被害者の痛みについては理解が広まっていないように感じます。お金の問題じゃないんです、本当に。
4月からは自分の生活も大きく変わっていきますが、その準備もそれなりにしております。英語の塾にはずっと通い続けたし。体力的なことは、1月も2月も体を壊したこともあってまだまだ心配ですが、まあ、やるしかありません。
ブログの更新も、また始めようと思います。
しかしSo-netのこの重さと、不便さはなんとかならないものなのかー。
金銭以外の報酬を与えるという価値観:神の口から出る一つ一つの言葉 [雑記]
ネット上には実に様々な有用で価値ある情報が詰まっています。実用的なものから知的好奇心を刺激されるもの。ささやかな疑問に答えてくれるものから、非常に娯楽性に富んだ遊びまで。しかもそのほとんどが無償で利用できるのです。
それはそれで素晴らしい事なのですが、そういったコンテンツを個人で提供している場合、どうしても続けていくためのモチベーションというものが保ちにくくなっていることも確かです。「人はパンのみにて生くるにあらず」なのですから、パン以外にまったく何もなしで生きられるほど強くもないのです。なにせ元々の言葉(聖書)にしてからが、その後に「神の口から出る一つ一つの言葉で生きるのである」と続くのですから。
さて、ネット上でこの「神の口から出る一つ一つの言葉」にあたるものはなんでしょうか。私はそれは、閲覧者のささやかな一言にあるのではないかという気がします。
アルファブロガーを「もっと」探せ:エントリしてみます。 [雑記]
FPNさんがこのような企画をされているので、適当に飛びついて参加してみることにしました。
→アルファブロガーを「もっと」探せ 2005
最近、ブロガー懇談会関連などで色んな方に出会いましたから、そのあたりの自分的整理も含めて。