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オタクの社会学:どうして女オタクは同人誌を書くのか(3つの理由) [雑記]

 この記事の前論「女オタク(腐女子)を嫌う人々の3類型」で、私は女オタクを嫌う人々(その理由)を
1,なんでも「やおい」にするから嫌い。
2,なんでも「恋愛」にするから嫌い。
3,二次創作自体が嫌い。
と分け、これをそのままひっくり返す事で、「どうして女オタクは同人誌を書くのか」という理由説明になる、と論を発展させました。
つまり、
1,やおいが書きたいから。
2,恋愛が書きたいから。
3,二次創作が書きたいから。
です。

この記事ではそれぞれについて、また考察してみようかと思います。

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オタクの社会学:女オタク(腐女子)を嫌う人々の3類型 [雑記]

 ratio - rational - irrationalさんの記事「オタクの異文化性」の「文化人類学フィールドワークの手法に基づくオタク評論を書いて欲しいな」という言葉に触発されて、ちょっと記事を書いてみる事にしました。
 私は社会学を志す身であり、自身も10年来のオタクであったりするので、比較的近いアプローチが出来るかと思います(近くても遠いような気もしますが・・・)。

 オタクという言葉は今では広範囲に使用されていますが、ここでいうオタクとは狭義のオタク、すなわちコミケなどでアニメ・漫画などを原作とした二次創作同人誌を売り買いしているような人々、その中でも特に女性のオタク、いわゆる腐女子についてです。
 腐女子は一般的に嫌われている、肩身の狭い存在です。どうして嫌われるのか、その理由をちょっと分類してみました。

1,なんでも「やおい」にするから嫌い。
2,なんでも「恋愛」にするから嫌い。
3,二次創作自体が嫌い。

 以下、詳しく考察します。

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帰宅しました [雑記]

 USJでクリスマス気分を堪能してきましたが、6月に比べてかなり人も多く、風も冷たくなってきて疲れました。しかしクリスマスツアーに参加してみて、親切で気さくなお姉さんに色々豆知識を教えてもらったり、2日目には前回楽しんだアトラクションの2回目に挑戦してみて、色々新しい発見をしたり。楽しい旅でした。またぼちぼち旅行記を書こうかと思います。

 ところで旅に出る前、ネットを彷徨っていて池袋の乙女ロードの記事から、「オタクについて社会学的に観察した人はいないのか」というエントリを読み、現役(一応)オタクにして社会学を志す者としては挑戦心を刺激され、ホテルで夜、せっせと「オタクの社会学:女オタクを嫌う人々の三分類」とかいう記事を考えていました。ここから発展させて「オタクはどうして同人を書くのか」に行ける予定。
 わりと形になったのですが、書くかどうかは考えるところです。政治ネタ並に地雷のような気がするんですが、まー今更気にすることもないですかそうですか。

 あとハウステンボスのソフトとハードの話もいい加減形にしないといけないし、当分書くネタには困りません。書く気力と体力には困っていますが。まー、適当に。

今回の収穫。サメが二匹に増えました。

小さくても凶暴です。刺さってるくま。


深夜の本屋 [雑記]

 今読んでいる本の続き物が、どーしても読みたくなって居ても立ってもいられなくなり、先ほど深夜営業している本屋まで車でひとっ走りしてきました。このような田舎にも、一軒二軒は深夜まで営業している本屋があるのです。といってもそのうち1つは先日つぶれかけ、結局親会社を譲渡する形で乗り換えて営業継続したのですけど。

 うちの親は剛毅な方で、いろいろと面白い教育方針があったのですが、その一つとして「本ならいくらでも欲しいだけ買ってくれる」というものがありました。幼少時のことですから、買うといっても一回本屋に行くごとに一冊とかそんなおねだりでしたけれども、小学校低学年頃の夏休みなど、毎日千円札一枚もらっては歩いて近所の本屋に通うのが日課だった記憶もあります。・・・今にして思えばなかなか恐るべき太っ腹です。

 というわけで、私は本がなくては生きていけないという、人並みに本好きな人間に育ちましたが、副作用としてどうも本に関しては欲望を抑えきれないというか、相変わらず財布の中身をあんまり気にせず買ってしまったり、こうして深夜にでも読みたい欲求に取り憑かれると、もうその場で手に入れないとたまらないとか、手にはいるまで何軒でもはしごするとか、そんな悪癖があります。
 ま、そのかわりハードカバーには手を出さず買うのは文庫ばっかりとか、その文庫にしても一人暮らしを始めて親元を離れて以降、金銭というより物質的容量の問題で「本棚一竿に収まる範囲でッ」とか自分なりに枠は決めているのですけど。(多少溢れ出したのはやむを得まい、うむ)。(ちなみに最近二竿に増えました)。

 深夜営業の本屋というのは、なかなか独特の雰囲気があっていいものです。そもそも深夜営業するくらいなので、営業熱心で品揃えも凝っている本屋さんが多いのです。
 本屋というのはどれも同じに見えて、どの本を平積みするか(表紙が見える状態で棚に並べる)などで微妙にセンスが伺えます。一度センスのいい本屋を見つけてしまえば、平積みをチェックしているだけでその時々の良書が分かったり、思わぬ掘り出し物に出会えたことも数知れず。

 客層も昼間とはまた違い、落ち着いた雰囲気でみなそれぞれに事情を抱えつつ、本と対話している雰囲気に満ちていてたまりません。だって深夜の12時前後に本屋に来る人々ですよ。それだけでなんかドラマを感じませんか。・・・まあ中には私みたいに、自らの欲望を押さえられないだけのが混じっていることもありますがー。

 ともあれそんなわけで、私は深夜の本屋通いをやめられないのです。暗い中で煌々と照らされた灯り、その中に並んでいる無数の本達。書列の間にぱらぱらとたたずむ、意外に多い人の数。店員さんもどこかリラックスした雰囲気で、柔らかくレジうちなどしつつ。
 目当ての本を手に入れて、つい隣にある本にも手を伸ばしてしまう、そんな欲望に心地よく負ける空間。


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今後の予定 [雑記]

 ああ、全然論がまとまっていない・・・。というのが下の記事を書いての悔恨。ぎゃー。書きたいことが多すぎるあまり、ただの五里霧中支離滅裂です。でも言っておきたかったので書いておく。ブログは気軽にその時思ったことを書けばいいツールだって、聞いたし。・・・気軽に書くのがあの長さかという点は、気にしないでいただきたい。私は気軽に書けば書くほど長くなる傾向があります。脳内垂れ流しです。

 今週の後半にはまたUSJに行きます。母がクリスマスのUSJを見てみたいと言いまして。・・・なんだか母とばっかり旅行に行っていますが、一応来年度からは私が忙しくなるので今のうちにという思惑が双方にあるようです。
 で、帰ってきたらまた旅行記書くと思うので、うちのブログはまたしても旅行記ブログにッ。ううむ。

 ハウステンボスで入手してきたクマは、現在このように可愛がられています。
  
愛とは時に重いものくま(くま談)。

 本名はドライフですが、家人によってこのクマは「くまごろう」と命名されました。私が家人のドイツ土産のクマを「ぐーてんくまげん(通称くまげん)」と命名したことへの仕返しでしょうか・・・。

追記。
 ちなみにこちらがそのくまげん。


ネットはネット内で完結してはいけない ~ブロガー懇談会に期待すること [雑記]

 もう終わりとか思って宣言したら、書きたいことが出てくるというこの不思議。なかなか寝付けず寝たと思ったら滅茶苦茶夢見が悪く、最悪の目覚めを体験したところでふと考えがまとまったことがあるので書いておきます。・・・ちなみに夢の内容とはなんの関係もありませんが。
 私がなぜこんなにも政党とのブロガー懇談会に執着しているのか、その理由を思い出しました。

 ネット文化を大学院で学び研究しようと思っている自分の、ずっと頭から離れないテーマとして、ネットとリアルはどう結びついていくのかという問題意識があります。例えば自分が興味あるものとして「ネット世論」があるのですが、これはリアルの世論とどう違うのか。個人的見解ではネット世論はある面においてリアル世論を先取りしている面が見受けられるのですが、それは何故なのか(それ以前に真なのか)。そういうことをずっと考えています。

 さらに突き詰めて考えると、自分はネットを考える際に常にリアルを比較材料として持っていました。何故そうしているのかというと、それはつまり、「ネットのムーブメントはネット内で完結してはいけない(リアルに出て行かなくてはならない)」というテーゼ(あるいは危機意識)を持っているからなのです。
 そして私は、このテーゼを具現する一つの形としてブロガー懇談会に期待しているのでした。

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象徴という視点 [雑記]

 この記事は徳保隆夫さんの「懇談会のあるべき形」という記事に対して、思うところがあったので述べてみようと言うTB用記事です。本来ならコメント欄に書くのですが、なかったので。

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最近は [雑記]

 最近はとみに寒いです。コタツ布団をそろそろ買うべきかと思うのですが(コタツはある)、まだ行けていません。平日は家人が車を使っているので休日に買いに行くことになるのですが、うちの車は人2人+コタツ布団を乗せると運転に無理が出てくるサイズであるのが悩ましいところです。具体的には助手席の人間は布団につぶされますし、運転席側からは左のサイドミラーが見えないという死活問題が生じます。後部座席とかないの?と聞かれても、ありません。トランクルームもありません。

 そんな中、今日は微妙に風邪気味です。ああ、もぐら侵入大作戦(某所に潜入して事前にお勉強しておく作戦)はお休みかー。今日一日無理して週末倒れるというのも考えたのですが、今週末は人との約束もあり、来週初めにはまた旅行計画も持ち上がったので今悪化させるとまずいのです。

 その人との約束。またしても母とのお出かけ計画なのですが、槇原敬之さんのコンサートに行きます。実は私、ライブやコンサートという生の歌を聴く場に行く経験は初めてなので、とても期待しています。槇原さん自体はそんなに熱心なファンというわけではないのですがー。

 来月1日には、また東京に行きます。自民党との懇談会です。潜り込み成功(そんなのばっかりやってますね・・・)。いや今回はちゃんと招待メールが来ましたよ!
 質問時間もあるようで、内閣改造の1日前ということでそれに関する質問になるのか、でも個人的には高校中退な自分の体験も踏まえて「引きこもり・ニート対策」を聞いてみたい気がします。ネットからつながる人間関係は「個人と個人との出会いである」という自分の信念からしても後者かな、と。前者は誰かが聞くだろうという思惑もあります。その答え次第で、さらなる突っ込みはやってみても面白いかもしれませんけど。
 ちょっと前、新聞にも「選挙とPR会社」の記事が載っていましたが、こういう場の設定も自民党側にとっては広告宣伝であるわけで、これからそっち方向の勉強もしようと思っている者にとっては、この面でも観察しなければいけません。やることいろいろ。

 ああそういえば、ブログでの広告宣伝といえば先日恐ろしいものを見ました。
 NHKBSの情報番組だったのですが、今は広告会社がある程度の読者を持つブログ作者(アルファ・ブロガーと呼ばれる)にお金を出して、商品(例えば映画)の記事を書いてもらうということが実際に行われているらしいのです。
 それもブロガー側でさらに連帯して、「見てないけど面白そう」とか「見たけどここが面白かった」とか「主婦の視点から見て・・・」とか「この俳優のファンなんだけど・・・」とかそれぞれどのスタンスで書くか打ち合わせをして、その中にはわざと批判的な意見を書く役割分担の人もいて(広告会社も了承済み)。で、お互いトラックバックしあって全体として一つの映画宣伝になるという・・・。
 正直な感想。「2chで言われている「工作員」って実際にいたんだ」。この場合はブログ工作員ですが・・・。その人達が広告会社からお金をもらって記事を書いているということを明らかにしているならいいと思うのですが、多分秘密ですよね。私がその人の読者なら、実はお金もらって書いてますなどと知ったら、正直裏切られた気持ちになるだろうなと思います。それだけならまだしも、このような現実がもっと有名になり、他の映画評論ブログまで読者に「実はお金もらって書いているんじゃないか」という目で見られるようになったら? ・・・なんか、不安がいっぱいですよ。
 これからのブログ読者は「この人は実はお金もらって書いている広告宣伝者かもしれない」ってことまで考えて、ブログを読まなくてはならないんでしょうか。世知辛ー。というか、最終的には自分たちの首を絞めていると思うのですけど。

 とりあえず、うちのブログは当分旅行記ばっかりになりそうです。ハウステンボス、さすがに記事を書きすぎた気がしてならない、がそれがうちのブログ・・・。字数制限がないのをいいことに、書きたいことは全て書く、ですから。まあそうしているうちに、いつか限界に気が付くだろうという。
 余談(ハード・ソフト話)がまだまとまっていなくてすみません。書くことは溢れ出しそうにあるのですが、文の構成がどうしてもうまく決まらなくて。ついでに今は平日が忙しくて余裕が少ないので。もう少しお待ち下さい。

 お正月の古畑スペシャルに、イチローさんが犯人役で出るということで興奮しています。演技はどうかとか、三谷さんはあまり野球詳しくないらしいという不安はあるものの、私は彼のファンなので彼がただ画面上にいるだけで嬉しいわけであり、しかもそれが三谷さんのあて書きによって引き出されるキャラクターとなると、ワクワク感が不安を凌駕します。楽しみです。
 もちろん他の回も、NHKの「新選組!! 土方歳三最期の一日」も。

 あと映画も楽しみなものはいっぱいあるし、本も順調に買っているし、日々は楽しみです。・・・私は「自民党さんに呼ばれる」というそれなりの事件と対面すると、やっぱりつい自分の将来や自分は何がしたいのかってことを考えてしまうのですけれど、ただ楽しいことを心のすべてで味わえる感覚をいつまでも持って、どんな場面でも(仕事でも遊びでも勉強でも)楽しみを見いだして、文章を書いて生きて行けたらそれでいいなあと。
 文章を書くことは自分にとって一生の希求ですが、今の世の中インターネットというものがありますから。自分の文章が金になるかということにこだわりもないし。・・・ちなみに私は「ネットは無償であることに意味がある」幻想の持ち主ですから、上記のようなお金をもらって記事を書くってことは嫌です(機会をもらって記事を書く、ならやりますけど)。
 すごく個人的な生き方であり、やっぱりそのあたり、私はニート・フリーター世代なのかもしれません。


追記(28日):その後、31日に行われる民主党とのブロガー懇談会にも出席させて貰えることになりました。詳細はGrip Blogさんの記事にあります。
 わーい。では10月31日、11月1日と泊まりがけで行ってきます。思惑はいろいろありますが、とりあえず私の立場的にはスクープ発言を引き出すというより、一般マスコミはぶつけないであろう角度から質問をしてみたいな。例えば「自国の国益抜きで考えて、今イラクから国際社会が手を引いたら、あの国はどうなると思いますか?」とか。


旅しすぎ [雑記]

 長崎のハウステンボスに行ってきました。それはいいのですが、その後帰る段階になって様々な思惑と交渉が入り乱れた結果、そのまま京都の実家行きです。今回は別に誰が病気になったとかではないですが・・・。強いて言えば母のお土産の荷物もちかな。あと家人との間で、かえるとくまを代理にしての駆け引き合戦。いい歳して何をやっているのだろう。

 というわけで今は京都で久しぶりのインターネットです。しばらくぼけーっとしている間に世の中動いているんだなあとかしみじみしているところです。また家に帰ったら旅行記書こうと思いますが、ハウステンボスでは食べて歩いてたくさんの花の写真を撮ってきました。コスモスとダリアとバラ、秋にもこんなに多くの花があるのだなあと思いましたですよ。

 ネットから断絶していたので夜は読書。といっても最近のはまりはライトノベルなんですけど。「されど罪人は竜と踊る」というアクションミステリです。面白いです。
 院入学までに専門書も読んでおきたいのですが、書籍費がとてももたないのが辛いところなのです。入学前に大学図書館を使えるようになる方法は何かないものか。地元の公立図書館は田舎すぎて専門書の蔵書には限界があるし・・・。帰ったらまたいろいろ調べなくてはなりません。
 でも今はとりあえず、情報断絶としみじみ読書を楽しみます。先週末は福井に行っていたし、それから長崎で京都で・・・。この一週間あちこち移動しましたけど、結局片時も本は手放さなかったなー。私はネットは(まだ)なくても生きていけますが、本がないと生きていけないようです。不思議なものです。

 ハウステンボスでは「ハード(容れ物)をしっかり作っておけばソフト(中身)はどこまで保てるのか?」を夜な夜な考えていましたが、本もまたハードであり、ネットは未だソフトなのかもしれません。つまり手で触れるものじゃないと、人はそこに拠って立つことはできないのかもしれません。考えまとまっていませんが、このことはまた旅行記内でおいおい書こうと思います。


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