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人の善意を前提としたシステムの結末:GripBlogの移転によせて [雑記]

 最初タイトルは「GripBlogの終焉」と書こうかと思いましたが、さすがに人様のものを勝手に終わらせてはいけないと自重しました。ともあれ、一次情報の収集にこだわるブログという点で画期的だったGripBlog移転後)さんの今の状況、コメント欄を閉じ、サーバー移転をし、問題の元となった人々とのつながりをぷっつり切って、これからは依頼を貰った媒体で仕事(取材)をしていくという宣言。
 そのような現状はまさに、一つの何かが終わったのだと私は思うのです。


 今となって思い出すのは、ずっと以前、あちらのコメント欄で泉さんに向かって「それ(GripBlog)は人の善意を前提に成り立つシステムですよね」と言った事です(細部は曖昧です)。当時の泉さんの姿勢としては、未完成なもの未熟なもの迷いがあるものもとにかく出す。そしてみんなに意見を言ってもらいコメントをもらうことで補完して貰う、そういったシステムの志向でした。(このあたり間違っておりましたら、ご指摘ください>泉さん)。
参考:私が目指しているもの(GripBlog)移転後

 私はそのような有り様に対して「それは人の善意を前提に成り立つシステムですよね」と言ったのです。
 その中には、悪意がある人が入ってきたらどうするんだという危うさ、単純なコメント欄荒らしだけではありません、泉さんの取材に対する無垢さを利用しようとする団体が表れるかもしれないという懸念。
 また一方で、泉さんは人の善意をただ一方的に利用しているだけだ、果たして相手に対して何を返しているのか、それでいいのかという消せない気持ちもありました。
 例えばコメント欄は「参考にさせていただきます」とのことで、実際参考にはなさっていたのでしょうが、泉さんが貰った意見に対して直接返事を書く事はほとんどなく、またコメント欄で議論が巻き起こっても収めようとしなかったこと。その結果、泉さんのために善意でアドバイスした人が、泉さん本人ではなく他の人から攻撃を受けるという事態も起こりましたし、やはりそれは多くの場合そのまま放置されました。

 別に今になって、一つ一つをあげつらおうというのではないのです。皆、それを分かって参加していたのですから。責任は皆にあります。当然、私にも。


 ネットはわりと善意で出来ていることは確かです。オンラインゲームなどが分かりやすいですが、初心者はゲームに参加し始めたらすぐに、ベテランプレイヤー達から無償でアイテムをもらったり、レベル上げを助けて貰ったり、多くの善意に遭遇します。
 これはベテランプレイヤーはある種そのゲームに飽きてしまっている部分もあり、彼らに取ってはそのすでに手にしたアイテムにはそれほどの価値も執着もなく、また一方で何も知らない無垢な初心者プレイヤーの「やる気」がまぶしい、そんな相手に関わることですでに自分が失ってしまった何かの一端をちょっとは思い出して救われる。だからこそ手を貸す。そんな現象だと私は見ています。
 ・・・まさにGripBlogにぴったりだったなと思うのです。

 でもプレイヤーはいつまでも初心者ではありません。またいつまでも善意だけに遭遇し続けられるわけでもないのです。
 GripBlogに起こった事はそれでした。ついにやってきた「悪意」との遭遇。それは民主党懇談会問題であったのかもしれませんし(あれは悪意というより事故ですが)、その後のコメント欄の状況であったとも言えるでしょう。
 そして結果としてのGripBlogさんの再出発。メジャー媒体から仕事を貰ってセミプロになるというのは、ある意味ではジャーナリストとして着実なレベルアップと言えます。

 しかし・・・。世の中そう上手く運ぶかと聞かれれば、私は否と答えます。本当に残念なことなのですが。


 貰ったものは返さなければいけません。これまで人の善意を散々踏み台にしてきて、何もなかったかのごとく口を拭って、新しい段階に進む。世の中そんなに甘くはないのです。
 泉さんはかつて、「依頼されて原稿を書いて収入を得るほどのスキルはまだありませんし、組織の思想に沿った文章を書くことには嫌悪感があります。」と語っておられました(上記リンク先参照)。その人が「媒体」の中で記事を書く。そこにどういう心境の変遷があったのか、それは最低限明らかにすべきことではないでしょうか。

 人々は皆、そういう(アマチュアの)泉さんに対して自分たちの「善意」を(無償で)提供したのです。取材に応じた人、コメントを書いた人、数え上げればきりがありません。
 私自身に関してだって、それなりに泉さんのことを思ってコメントしてきたし応援もしてきた。その結果がこれなのか、という点には正直に失望を感じています。

 もちろん善意でやったことですから。余っていた力を少し分けただけ。だから損をしたという気持ちも「少しだけ」ではあるのです。だけどGripBlogはあまりに多くの人によって支えられてきました。その人達の善意すべてを総合すれば、それは巨大なものであるはずです。それだけの善意を踏み台にして、結局やることが自分一人「媒体」に入る事なのか。
 ついでに、ちょっとした悪意に遭遇してしまったからといって、コメント欄をいつまでも閉じたままにしておくことなのか。

 別にいいんです。善意でやったことなんですから。
 でも、でも、どうしても。これは私の人生経験というものですが、不誠実なことをすればそれは必ず自分に返ってきます。僭越ながら、私は泉さんの今後が心配です。
 今からでも遅くありません。せめてコメント欄は早急に解放を。そして「媒体」の中に入ることに対する説明をきちんと行う事、その2点を私は求めます。


 それにしても、GripBlogさんの将来はさておき、「善意を前提としたシステム」の結末については、実に興味深いケーススタディをさせていただきました。
 私はこれを持って「善意を前提としたシステム」は駄目だと結論づけるつもりはありません。むしろインターネットはこれからも、無数のそして無償の善意によって支えられていくと考えています。
 ・・・ただ、善意にはやっぱり対価を支払わないと、それはお金じゃなくて「誠実さ」なんじゃないかと、そう思うのですよ。


追記(4/9):その後、GripBlogさんはコメント欄を解放されました。まずはそのご決断に賛同の意を示したいと思います。
参照:コメント欄について(GripBlog)


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