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象徴という視点 [雑記]

 この記事は徳保隆夫さんの「懇談会のあるべき形」という記事に対して、思うところがあったので述べてみようと言うTB用記事です。本来ならコメント欄に書くのですが、なかったので。

 私は徳保さんのご意見は、基本的に正しいと思います。特に論理のみを重要視するならば。ただ現実に置き換えた場合は、もうちょっと違う見方も出来るかなと思うのです。
 地元議員さんにも政策や要望を訴えることが出来るというのはその通りだと思うのですね。ただそこで「ああそうですね、やります」と言ってもらえるのと、政調会長クラスに「やります」と言ってもらえるのとでは違うと思うのです。それは「本当にやってもらえるか」という実現の可能性ではありません。これはいわば象徴や啓蒙の問題なのです。

 私は自身のこの記事

 で、実際どんな質問にも答えていました。「政治家や政党に直接意見を言いたい」という人に取っては、かなり満足度の高い懇談会だったのではないかという気がします。ただ一方で、実際言ってみて「やります」とも言ってもらえたけど、ああこんなものだったのか、って思う人も多い気もしますけどね。

 と書きました。これには続きがあります。この虚しさを知って初めて分かる政治観、政策参加とはどういうことなのかを実感することが出来るだろう、という。それは多分、地元議員さんクラスではダメなのです。一度、一番上に近い人にまで行ってみて、そこで「やります」と言ってもらえることの虚しさを知ってこそ、ああ政治ってそんな簡単なものじゃないんだなと実感することが出来る。人はその程度には愚かなものなのだと、私は思います。

 でも誰もがそんな偉い人にまで言えるわけじゃない。確かに議員さんはそこまで暇ではありません。しかし、マスメディアでは駄目なのです。マスメディアを通してでは、この虚しさは伝わらない。けれどもブログでならば伝わります。それはブログが双方向ツールであるからです。一方通行のマスメディアとはまた違う視点で、読者はブログというものを読みます。
 何百人、何千人かの読者の中の、さらに限られた人数でしょうが「ああこれだけじゃ駄目なんだ、ではどうすればいいんだろう」と考えると思います。そういう問題提起をすることが出来るのです。私はここにブログの可能性を見いだしています。

 たしかに小さな力です。効率を考えるととてもマスメディアには太刀打ち出来ません。しかし効率だけが世の中を計算する時の基準なのかという点です。


 同じ事が今回前原代表を引っ張り出したことにも言えます。

ただ、私はやはり、支払ったコストに見合っていないと思うのですね。代表をはじめ、あれほど多くの議員を集めて、あえて露悪的に書けば「たったこれだけ」でしょう。損得でいえば、損だったと思う。

 この部分への反論ですが、私が実際あの場に行ってみて思ったことは、前原代表はまったくネットをご存じないということでした。上がこれではいかに一人の議員さんが、いや徳保さんのお言葉では議員秘書さんクラスが意見を受け付けても、多分それは通らないでしょう。通るにしても何千何万単位での言葉なり電話なりでの働きかけが必要かと思います。

 その点、あの場でそれなりに厳選したブロガーを集めてみせて、「サルかゴリラのように」実際に見せ物にしたというのは、意味があることだったと思います。前原代表はその場で検討することを部下に指示なさいました。ネットというものについて確実に代表にインパクトを与えたという手応えはありました。効率でいうならこれはとんでもない効率のよさです。今後、民主党内でネットに詳しい議員さんが何かしようと思った時、今までより確実にやりやすくなることは想像に難くありません。それを考えると2時間程度は安いものだったと私は思います。

 だから、これらはやはり象徴なのです。近眼的な損得勘定だけでは量れないものが、第1回のブロガー懇談会にはあります。徳保さんのご意見は非常に参考になりましたが、率直に申し上げて机上論であると、人はそこまで理性的な生き物ではないということを一言お伝えしたく、こうして記事を書きました。


 あとこれは蛇足なのですが、「2ヶ月に1回、1~2時間でも多すぎる?」で「ブロガー側の面々のはしゃぎっぷりはよくわかる。」と書かれていますが、私の観点においては民主党懇談会において別に誰もはしゃいでいなかったというのは、余計なことながら一言つけ加えておきたいです。

 むしろあの場にあったのは危機感でした。第2回があるかも分からない危機感、選ばれて参加した自分たちが参加しなかった人達から好き勝手言われるであろうリスク。みなそんなものを肌で感じて、それでも平日午後6時に時間や金銭のやりくりを付けて集まったのです。
 それをR30さんの速記録を読んだだけの段階で「はしゃぐ」という言葉で切り捨てられることは、なんというか残念です。


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コメント 5

これ

ようやくmoreのタグが入り始めたね(笑)
しかも過去記事まで一気に!
読み応えあるblogだから入れなくても良いかなぁと思っていたんだけど(爆)
by これ (2005-11-06 11:02) 

マルセル(時事を考える)

下記はボクが書いた徳保隆夫さんの「懇談会のあるべき形」という記事への反論です、ご参考になれば...

TBありがとうございます、「こういうことを仰る方って、地元選出議員や地元選挙区候補者の集会に出たことがないのでしょうね。政治家に庶民の生活の苦しさを訴えたければ、そういう場所で好きなだけ訴えればいいんですよ」とのこと、この記事だけを読まれたらそう言われても仕方ないです、本当はこの記事を削除したいくらいです、良くも悪しきも自分の書いたものだと思って、反省の意味もあって残しています<(__)>

ただ、代表をはじめ何人もの議員を集めたブロガー懇談会は、「ネットの有識者にネットのお話を伺う」内容でなければおかしいというのも間違っています、もちろんその視点は重要です、ただ政党の代表と直接話しが出来る場であれば、政党としてのスタンスを問うという視点、視座が絶対に必要です

TBいただいた方は「門外漢が政治について語るべきじゃない」とおしゃっていますが、これは明らかな暴言です、言葉をかえて言えば、門外漢が政党の代表と直接話しができる類稀な機会をもしいただいたなら、門外漢として政治について大いに語るべきなのです、それができなければ、こういう会に参加する意味はありません、TBをいただいた方に敢えて失礼な言い方をしますが<(__)>、貴方には永遠にわからないかもしれませんがそういうことだとご理解ください、わからない、違うとおっしゃるのならこれ以上議論はできません
by マルセル(時事を考える) (2005-11-06 11:39) 

Aa

>これさん。
どうもこんにちは。
moreは今までも入れようか散々悩んできたのですが、今回のように連載記事(それでも出来れば順番に読んで欲しい記事)だと書いている途中の段階で、真ん中のものが一番上に来るとかいう状態が発生しまして。
で、他のブログさんをまわってみても長文だとmore使っているのはわりと一般的なのだということが分かりまして。使ってみました。

>マルセルさん
こんにちは。ご意見ありがとうございます。
議論というのはエネルギーを使うものです。私は普段はあんまりやりたくないのですが(特に掲示板やコメント欄でやりあうならともかく、TBの送り合いという形は)、今回の場合はちょっと言いっぱなしにされる危険を感じたので、あえて手間をかけてみました。
ご自身は他者のブログを多数引用して放言しておられながら、個別記事へのコメントもトラックバックも受け付けず、「総じてコミュニケーションに対し冷淡です」と言い切られる姿勢がそもそもどうかと思いましたし。

まー、意見については大体どれも一理あると思うのですね。
マルセルさんのご意見も、私はとても正しいものだと思います。
過去の記事をきちんと残しておられることも、とても誠実で勇気ある行動だと思います。

ただまあ「全て正しいのだ」では世の中発展しないと言うかなんというか。そのあたりでどうしてもコミュニケーション(意見のすり合わせ、あるいはぶつかり合い)というものは必要になってくると思うのですが、守りを固めるだけ固めて、隅っこで言いたい放題というのはどうなのか。それこそ実際に現場に身を晒して試行錯誤している人を「はしゃぐ」などと冷笑する資格はあるのか、それを問いたいと思いまして。ちなみに、R30さんが「はしゃぐ」と形容されるのと、徳保さんの「はしゃぐ」は意味からして違うと思うのです。

でもまあ、あんまり深入りしないほうがいい予感がするのも正直なところ。悩ましいものです。健全な議論は私も歓迎するところなのですけれども。
by Aa (2005-11-06 13:01) 

徳保隆夫

 1点だけ。HTML に q 要素というのがあり、その内容が「引用」であることを意味します。「2ヶ月に1回、1~2時間でも多すぎる?」において、私は「はしゃぐ」という表現を q 要素としてマークアップしており、それが「私の言葉」でないことを明確に示しております。「引用」なのだから当該フレーズの話者はR30さんであり、私の記事中にあるからといって意味が変わることはありません。
 なお「懇談会のあるべき形 その2」では、Aa さんが「引用」という性格を無視して言葉だけを問題にされていることへの応答という文脈で当該フレーズが登場しているので、カッコつきの平文としてあります。
by 徳保隆夫 (2005-11-06 14:25) 

Aa

こんばんは、徳保隆夫様。
お話の件ですが、その引用に直接「~はよくわかる」という言葉を続けて使っている場合、私はそれをご自身の言葉としても選択したのだと見なします。
例えば私が文中において人の言葉を引用して誰かを非難したとして、それが引用であるから非難の責任をとらなくていいということにはならないと考えます。引用者には引用者の責任がある、という考えです。
ついでに引用なら意味が変わらないかというとそんなことはなく、どのような文脈で引用されたかによって、同じ言葉でも当然意味は変わってきます。

しかし徳保様がコンテクスト以上に言葉の厳密な解釈にこだわられることはよく分かりました。これは一見、議論に対して誠実である姿勢のように思われますが、実のところ枝葉末節にこだわるあまり木を見て森を見ずに陥る状況を、たくさん見聞きしてきました。そのあたりの経験が私にこれを不毛なものだという予感を与えているのかもしれません。
もちろん言葉に対して誠実である姿勢は必要です。ただ記事内でも申し上げているように、机上論というものがありまして。私は議論が机上論に陥ってしまうことを何よりも懸念致します。
議論は異なる他者が分かり合うために行うコミュニケーションであると考えます。その時、他者の考えを自分の規範にのみ押し込んで考えることは危険です。他者には他者の思いがあることを、議論しようとする人はそれを懸命に述べ伝えようとしているのだということを、コミュニケーションとはお互いに手を伸ばしあわなければつながらないものであるということを、どうかご理解いただきたく願うものです。
(もっともムラ社会とモヒカン族じゃないですか、このあたりには深くて大きな川があるみたいなんですけど・・・)

ともあれ、今回の懇談会に関してはあちこちで議論も見られますが、参加者はまだその議論にほとんど足を突っ込んでいないと思いますので(リスクがかなり大きいですからね)、一番どうでもいい末席であるところの私が飛び込んでみました。
しかし他者にトラックバックを送るのは平気で、ご自身の記事に直接トラックバックを送られるのは嫌だという思いは、やはり理解しがたいものです。どうかこの点に関してもご一考いただきたく、お願い申し上げます。
by Aa (2005-11-06 21:49) 

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