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「コンフィダント・絆」:芸術家の証明 [演劇]

 この劇のテーマは「芸術家に友情は成立するか」だそうである。断言しよう、成立しない。
 それはそれとして、もう少し話を続けることにする。三谷幸喜作のこの喜劇は、19世紀末のフランス・パリを舞台に、後の世に有名になるがこの頃はまだ無名で貧しかった実在の4人の画家と、彼らのモデルとして雇われた一人の女性の物語である。
 彼らは小さなアトリエで約一ヶ月の間、同じ時間を共有する。その間には笑いがあり幸せがあり競争があり挫折もあった。中井貴一演じるスーラの、緻密で神経質かつストイック、だがどこか甘いたたずまい。寺脇康文演じるゴーギャンの、強くて逞しくてしかし後一歩が届かない常識的な部分。相島一之演じるシュフネッケルの、優しさと罪と悲哀。生瀬勝久演じるゴッホの、無邪気さと傲慢さと身を削るような一途さ。
 今はただ絵を遺すのみの彼らが、それぞれの理由と芸術を持ち、舞台の上であの時をまさに生きている。そして堀内敬子演じるルイーズが、どこにでもいる女性として、けれど確かに彼らを支え、安らぎを与えた存在として息づいている。
 そんな幸せな空間。だがしかし……。危機は彼らが芸術家であるが故に訪れ、そして彼らは芸術家であったが故に溺れた。逆に言えば、彼らは破滅と破綻を迎えることで、自らが芸術家であることを証明してみせた。
 美の女神は己の全てをなげうつ者にのみ微笑む。愛も幸せも友情も、芸術の前には儚い。でもだからこそ、あの空間は、4人の芸術家の間に友情のようなものが存在し、ルイーズという安らぎがあったあの空間は、奇跡だったのだ。
 この劇には笑いもあれば涙もある。そして芸術家とは何であるかの全てがつまっている。だがそれ以上にこの劇が素晴らしいのは、決して成り立たないはずの友情を、成り立たないものとして描きながら、それでもなお成立させた力である。
 アトリエの破れた窓から差し込む朝日のように、その尊さは、ただまぶしい。

(800字批評シリーズ:800字)

公式サイト:http://www.parco-play.com/web/play/les/index.html


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「エリザベート」:死と踊れ [演劇]

 「人は誰も死と戯れる。しかし彼女以上に死と上手く踊った者はいない」
 すでに日本でも宝塚版、東宝版が大ヒットしたミュージカル「エリザベート」、そのオリジナルであるウィーン版が来日し、大阪梅田芸術劇場にて上演されている。
 この「エリザベート」を見た人は誰もが息を呑むだろう。舞台に突き出した、上下する巨大な梁。その上を踊りながら渡っていく役者。回り舞台は回転を止めることなく、上にさらに船や馬車や円形の執務室やゴーカートを乗せる。奈落からせり上がる床は絶え間なく上下に動きながら、セットの一部と化す。息もつかせぬ場面展開、同時にひたすら歌と踊りが続く。その歌もまた、ロックでもありクラシカルでもある。ダンスも亡霊達のロボットダンスから、優雅な社交ダンスまでを、同じ役者が繰り広げていく自由闊達さ。
 様々な要素が交錯する舞台は一糸乱れぬ呼吸で互いに入れ違い、一歩間違えば大崩壊が起こるぎりぎりのところで、絢爛豪華に展開していく。
 ストーリーは美貌の皇妃エリザベートと彼女を誘惑する死神トート、責務と厳格な母親に縛られつつも彼女を深く愛する皇帝ヨーゼフを中心に展開する。古典的構図でありながら古くさくならないのは、この話が自由をテーマにしているからだ。田舎で素朴に育った娘エリザベートは古い皇室に縛られた後も、死の誘惑を退けながら、戦いによって自由を獲得する。しかし自由を得てでは何をするのか、彼女は答えを持ってはいなかった。ゆえに放浪を繰り返し、最後には暗殺者の刃に倒れ、死と踊る。
 それは勝利なのか敗北なのか。また、誰にとっての。舞台は問いを投げかけて終わる。
 死は究極の自由ともいえる。けれど人は自由を求めるが、死は厭う。何が違うのか。
 人は誰も死と戯れる。生きる上で死の誘惑を感じない人間はいない。そこで踏みとどまる理由は何なのか。限りなき普遍的な問い、生の価値を、このミュージカルは問い続ける。

(800字批評シリーズ:798字)

公式サイト:http://www.umegei.com/erz/index.html


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「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」:絶え間なくわき腹を [演劇]

 三谷幸喜作・演出で2001年に上演された、この舞台。例によってDVDで観ました。
 私の実家の自室は、机-ベッド-テレビという配置になっており、TVでDVDを見るときはベッドに寝転がりながらというのがベストポジションなのですが、微妙な引きつり笑いの連続で持病の喘息の発作を起こしかけ、腹筋と背筋を使いまくった挙句、次の日には腰の右側が寝違え状態に。
 ・・・チケット入手のために行列し、遠くの劇場までわざわざ出かけて人ごみに揉まれという生観劇ならともかく、自宅で優雅にDVD鑑賞という環境で、なぜにこのような体力勝負をせねばならぬのか。

 三谷さんの笑いというものは、わき腹を遠慮がちに絶え間なくひたすらくすぐられ続けるような、なんとも微妙なイヤラシサがあります。おまけに、まれにどうしようもなくツボに入ってしまうあたりが、さらにタチが悪い。
 もっともおそらく劇場で観ていたら、もっとダイレクトに爆笑の連続なんだろうなという気がします。暗闇の中で大口開けて笑いながら客席で沈没している自分の姿が容易に想像できますが、まあそのあたりは生観劇とDVDとの差で。そういう違いも嫌いじゃないんですけどね。
 ただ、三谷作品の中でも、とにかくひたすら笑ってもらうことを目的にしたこのお芝居を、ベッドに寝転がりながら観たのはさすがに失敗だったような気がします・・・。


 お話の筋はこうです。結婚披露パーティー当日、幸せの絶頂にある二人、ただしちょっとした問題が。彼らの父親は昔コンビを組んでいた漫才師だったのですが、10年前に喧嘩別れしてそのまま絶縁状態なのです。でもやはり親にも祝福して欲しいと、なんとか二人を説得しようとする新郎新婦。というか、結婚式当日にそんなギリギリ勝負はやめましょう。案の定、ホテルのラウンジという狭い空間を舞台に、すれ違いと行き違いと誤解を繰り返し、事態はひたすらにもつれてこんがらがり悪化の一方を。「ますます面白くなってきた」・・・第三者的にはな!

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「十二人の優しい日本人」:日本人と議論について [演劇]

 2005-2006年に上演された舞台版をDVDで観ました。この作品は三谷幸喜初期の代表作だそうで、映画にもなっていますがこれが初見です。日本にもしも陪審員制度があったらという設定で、一室に集められた12人の陪審員たちが2時間延々と、ある事件について有罪か無罪か議論し続けるというストーリー。
 いつか見ようと前からずっと思っていたのですが、結末(結論)を始めとする情報は一切入れないほうが楽しめるだろうと、必死で情報はシャットアウトしていたのがよかったです。私はわりと事前のネタバレを気にしない性格なのですが、この作品ばかりはまっさらな状態で、いきなり陪審員たちと同じく放り出され、手探り状態で周りの空気を必死に読みつつ、二転三転する議論に翻弄され、「結論出るのかこれはっ」と何度も頭をかきむしるのが正解かと思います。


 というわけで、ストーリーには(あまり)触れずに、ところで日本人と議論というもの はどうなのかという話を。

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「You Are The Top -今宵の君-」:愛されること、愛すること [演劇]

 三谷幸喜さん脚本・演出のこの舞台、私はDVDで観ました。よかったです。思わず何度も繰り返して見ました。恋愛ってこんなにいいものだったんですね・・・と思わずしみじみしてしまいました。
 ストーリーはこうです。ある女性歌手が世を去ってから7年、その7周忌の記念コンサートに新曲を発表するため、生前彼女と組んで数々の曲を世に送り出してきた作詞家と作曲家のコンビが、深夜のリハーサル室に集います。これから一晩で一曲作り上げなくてはならないというシチュエーションながら、作曲の合間、お互いにぽつぽつと生前の彼女の記憶を語り合っているうち、いつしか「どちらがより彼女を愛していたか、愛されていたか」という言い争いに発展します。争うといっても喧嘩のような感じではなく、昔を懐かしみながら、今だから言えることをぽろぽろこぼしながら、ついこぼしすぎたりしつつ、「男って本当に勝ち負けに拘るわよね」という状況に。
 けれどそれは彼らにとって、単なる恋愛での勝ち負けではなく、自分の青春から今までの半生を振り返る作業であり、それらを懐かしむ一方で、残してきたものを昇華する作業でもあり、そしてこれからの自分の未来を見つめなおす作業でもあるのです。
 このように、このお話はビターでスイートな大人の恋物語です。

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「オケピ!」:人間関係ぐちゃぐちゃ [演劇]

 これは三谷幸喜さん脚本の有名な舞台です。私は生で見たわけではなくて、DVDを買って見たんですけど、一目ではまってしまいました。ちなみに初演、再演とありまして、キャストも内容もそれなりに変わっていますが、DVD化されているのは再演版です。なので私が見たのも再演版です。
 一幕二幕合わせて3時間40分という大作なのですが、買ってから3日で3回見ました。・・・我ながらちょっと、はまりすぎたと今になっては思います。
 しかしそれから数ヶ月経った今でも、時々再生しては「ほけー」とその世界に浸っている自分がいるのです。いかに私がミュージカル好きだからといって、ここまではまってしまうだなんて・・・あんまりです。

 思えば私、三谷幸喜さんという方は実はコワイ方なのだと、常々思っておりました。
 あののほほんとした外見、とつとつとしたこっちがハラハラするような喋り、常に面白いことを言ってやろうと狙っているにもかかわらず、なぜかボーダーライン上ばっかり狙うものだから、いっつも片足踏み外している、なんと言っていいのか分かりませんがとりあえずお茶目さということにしておきましょう。それらに騙されてはいけません。
 別に実は性格悪いんだとか、裏で権力振り回しているんだとか、油断すると噛みつくとかそういうことじゃないですよ。私はあの方の目がコワイ。あれは人間というものを一直線に刺し貫く目です。それも決して悪意ではなく、善意でもなく、ただ純粋な好奇心によって。
 抽象的な話になりました。


 この「オケピ!」の内容について、簡単に説明したいと思います。まず、オケピというのはオーケストラピットの略で、オーケストラピットとはオペラやバレエやミュージカルなど伴奏が必要とされる劇が上演される際、舞台の前に穴が掘ってあって(というか囲ってあって)、その中でオーケストラが演奏している場所のことです。
 そのオケピでミュージカル上演中に巻き起こるドタバタを、同時進行で描いていくのがこの舞台です。ちょっと変わっているのは、劇中劇のミュージカルで歌の場面(オーケストラにとっては演奏する場面)になると、その時にこのオケピ!という舞台もミュージカル場面(つまり歌の場面)に突入することですね。二重構造の面白さ、というやつです(by笑の大学)。
 ミュージカル嫌いの人がよく口にする、「なんで急に歌い出すの?」という違和感を、この舞台は「オーケストラが演奏に入る」という切り替えで処理しているのです。映画の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「シカゴ」と同じく、上手い処理の仕方をしていると思います。
 そして逆に、舞台の上で普通のお芝居が展開されている状況では、(伴奏が要らないので)オーケストラピットは暇ですから、その間にオケピの団員たちは次々と自分勝手な行動に走り問題を起こす。そのドタバタを描いた劇です。

 まず主人公はコンダクター(指揮者)。彼はコンサートマスター(オーケストラのリーダー)であるヴァイオリンとは夫婦の間柄です。ただし彼女は数日前に家を出て行きました。同じくオケピの仲間であるトランペットと恋に落ちたというのが第一の理由ですが、本当のところは夫婦間の倦怠期というかそういう根深いものがあったようです。で、そのトランペット、女癖が悪く次から次へと取っ替え引っ替え、本当の恋愛なんてしたことはありません。ヴァイオリンとも、実はすでに別れています。
 そしてさらに、コンダクターの方も妻に戻ってきて欲しいと願いながら、オケピの仲間である美人のハープに密かにトキメキを覚えちゃったりなんかして(アホですね)。でもそのハープは、思い込みの激しい前向き男、ギターと付き合っている、といきなり宣言します。ギターが。
 でもでも実は、ハープが好きなのはトランペッター。ギターの彼はただのお友達です。彼女は男ばかりの環境で育ったので屈託なさすぎの結果、相手の男にいらぬ期待を持たせてしまう魔性の女なのです(いますね、そういう人)。
 えー、すでに人間関係めちゃくちゃなのがお分かりいただけたでしょうか。

 さらに、エキストラ(休みを取った人の代役)として今日初めてオケピに参加する、まだ夢多き学生のパーカッション。最古参で自分の世界を確立し、我関せずな立場を貫くオーボエ。いつも間違えてばっかりいる気弱、とみせかけて実はひたすらにマイペースなピアノ。主婦でありいつも生活に追われている、そんな生活感にまみれた自分になんとなく苛立ちと悲しさを抱えているチェロ。自分のパートは地味にこなしつつも、老後への不安感から怪しいネズミ講まがいの訪問販売を副業でやっているドラム。宇宙の心配をしている競馬好き、でも実はここ一番で頼りになる男のサックス。食べ物を食べると眠くなってしまう、だけど食べるの大好きなファゴット。いい人なんだけど、いい人すぎて存在感がなくて誰にも名前を覚えてもらえないヴィオラ。

 そういう、並べただけで何故か不安になる、もといワクワクしてくる個性的な面々が、せっまーい穴蔵(オケピ)の中に閉じこめられて、一つのこと(演奏)をする。・・・なにか、ドキドキしてきませんか?
 当然起こる、大ドタバタ劇。まあ、三谷さんはあんまりドタバタ劇っていう表現はお好きじゃないような、これは私の勝手な勘ですが。ま、聞こえないように話せばいいや(おい)。


 コンダクターを演じているのは白井晃さん。私はこの俳優さん好きです。ぴしっと自分の美意識を持ち、しっかり決めているはずなのに、何故かここ一番で崩れる。そういう方ではないかと勝手に思っておりますが、そんな彼が身勝手なオーケストラ団員達に次々と勝手な要望を押しつけられ、さらに上の人(上演されているミュージカルの主演女優)からも無理無体を言われて苦闘する、でもちゃっかりハープに気があってアプローチも狙ってる。人間味あふれるコンダクターを見事に演じておられました。疲れた背中が印象的です。
 実際、3時間以上の劇ですから出ずっぱりのコンダクターは大変な役らしく、劇の終盤ではどんどんやつれていく白井さんが見られるのですが、それがそのままコンダクターの哀愁にもつながっていて、ああやっぱり三谷さんはコワイ人だと思わずにはいられませんでしたですよ。

 他に印象に残ったのは、パーカッションを演じた小橋賢児さんです。年齢的にもキャリア的にも最年少でしたが、伸びやかな歌声が印象的でした。その声で、ちょっとマザコン入った、まだオーケストラという仕事に夢を持っている初々しい学生を演じ、歌うのです。
 「ああ母さん、僕は今、ミュージカルのオケピに立っています」という歌のフレーズを彼は何度も口にしますが、周囲の状況が変わっていくにつれて、それは夢に溢れた若者の舞台を前にした緊張感から、夢より現実、自分たちのやりたいことや生活を優先する団員達にぶちあたって感じる絶望感、そしてやけくそ感、悲しみ、さらに怒りへと、どんどん変化していきます。
 それらがすべてこの一つのフレーズの歌い分けによって、表現されるのです。難しい役だったと思いますが、小橋さんは見事に努めていました。

 ほかにもどのキャストも魅力的で、紹介に困ります。チェロを演じた瀬戸カトリーヌさんの主婦っぷりも見事だったし、ピアノ小日向文世さんのおトボケっぷりは、ああこの人にしか出せないなあと思ったし、ポジティブシンキングマン、ひたすらに前向きなギターはまさに川平慈英さんのはまり役。
 戸田恵子さんはそのとてつもない安定感で、そのままコンサートマスター(ヴァイオリン)として劇全体を引き締めておられましたし、ドラムを演じた温水洋一さんの怒りっぽい嫌な、一般的に苦手と思われるであろうしかもネズミ講販売員なのに、どこかに疲れた中年男の悲しみが見える存在は面白かった。

 モテモテ男トランペットの寺脇康文さんは、格好良く決めていながらふと覗かせるお茶目さ、それがやがて子供っぽさへと暴き立てられていく転落の軌跡が見事でした。またそれがはまるんですよね、寺脇さんという「どうしても笑いに走らずにはいられない」根っからの喜劇人に。
 ハープの天海祐希さんは、これは初演では松たか子さんが演じた役で、再演にあたりたぶん一番変わった部分だと思うのですが、ちゃんと新しいハープ像を有無を言わせぬ迫力で確立しておられました。ただ迫力があるだけじゃなくて、それが色気のある迫力なんです。すごい。

 ファゴットの岡田誠さんは唯一オーディションで選ばれたキャストということで、普段はオペラなども歌っていらっしゃるそうなのですが、さすがの歌唱力で名曲「俺達はサルじゃない!」をリードしておられました。本番中にバナナ食べてるのにねえ・・・サルじゃないって。
 相島一之さんはサックス、その微妙な力の空回りっぷりがいい味だしておりました。ここ一番で頼りになる男!でありながら、やっぱり頼り切れない、このなんともいえない腰砕け感が。
 そしてさっきも紹介を忘れかけ、慌てて最後に書き加えた存在感の薄いヴィオラ、これは小林隆さんが演じておられます。はまり役ーと思わせておいて、ちゃんと見せ場はさらっていくところがお見事。

 で、最後にとっておいたのが布施明さんです。彼はオーボエを演じておられます。さっきも書きましたが、最古参で一人自分の世界を確立している男。まさに布施さんという歌手の、そしてその歌唱力を形にした役といえましょう。布施さんが歌う二曲は、この劇の中でも異彩をはなっています。「そこはもう誰にも入りこめない世界」を、見事に歌で表現し、展開してみせるのです。でもそんな彼(オーボエ)がふと見せる人間的弱み。見所です。


 劇の紹介だけで、こんなに長くなってしまいました。そりゃ上演時間も長くなるわってなものです。三谷さんは、この劇に限らず、どの登場人物も愛してやまない方だと、やっぱり勝手に思っているわけですが、だからこそこれだけの人数を緻密に配置して描き分けずにはいられないんだろうなあと、その才にはただただ畏怖を覚えます。やっぱりコワイ人です(私もいい加減しつこいです)。

 物語の筋は・・・もうこれ以上語る必要はないですね。この登場人物たちだけで、すでに充分面白い予感が・・・しませんか? しないとしたら、それは私の力不足です。
 この舞台は、個々のキャラクター達の力によって動いている舞台です。ストーリーはあってなきがごとし。小さな事件は沢山起こりますが、決定的なことは何も起こらないし、何かが解決するわけでもない。でも立派に3時間40分、少しも飽きない物語として成立している。そんな劇なのです。
 この場合、ストーリーがあってなきがごとしというのは、書けなかったのではなくて、三谷さんの計算の結果です(断言します)。何も起こらないし何も解決しない、そのこと自体に意味があるんです。だから、あえて書いていない。
 コワイ人ですから・・・。私ね、本当に三谷さんのことがコワイのですよ。天才だと思ってますから。

 このDVDを手に入れるのには苦労しました。普通にAmazonなどでは売っていないのです。一部では店頭販売があったそうですが、発売されてから1年以上経っていますからもう(店頭には)残っていないんじゃないかな・・・。あとはイーオシバイドットコムと、パルコのオンライン通販でしか手に入りません。(ヤフオクって手もありますけど)。
 それも長い間品切れしてましてですね・・・、諦めきれなくて何度も通ったものですよ。いっそヤフオクでーとも思いましたが、人気商品でとても落とせるとは思えず。諦めかけていたころ、ようやく入荷しておりました。ちゃんと初回特典ディスクもついたままというのが、とても嬉しかったです。

 素敵な舞台です。他の三谷作品と同じく、生きていく勇気をくれる劇でした。
 できれば生で見たかったとも思いつつ、今度は映画化してくれないかなーという夢も抱いています。

 あの、それから、書き忘れたんですけど、私は三谷幸喜という脚本家さんが大好きです。


PARCO 三谷幸喜作品オフィシャルサイトオケピ!(再演版) ついでに(初演版)

PARCO劇場 オンラインショップ / イーオシバイドットコム:オケピ!

それから関連参考書籍↓オーケストラ楽器別人間学

オーケストラ楽器別人間学

  • 作者: 茂木 大輔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/08
  • メディア: 文庫


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