SSブログ

「槇原敬之 "cELEBRATION"2005」:丁寧な人 [音楽]

 槇原敬之さんのコンサートに行って来ました。ちなみにライブなるものに行くのは初体験です。私は槇原さんに対しては、特に熱心なファンというわけでもないですが、嫌いでもないという程度です。個人的カテゴリ的にはドリカムなどと同じに入ります。歌唱力や声の魅力はあると思うし曲も手堅いと思うけど、私の好みからは少し王道すぎる、愛を正直に歌いすぎるって感じでしょうか。
 ともあれコンサート自体はとても楽しめました。オーケストラと二部からは合唱隊も参加して、とてもシンフォニックな音作り。まあ合唱隊は合唱というよりはダンサーとかパフォーマーという感じで、ポーズを付けたり手拍子をうったり、どこぞの大学の学生さんらしく学園祭ノリも微妙に入りつつ、コンサートを盛り上げておられました。

 槇原さんはとても真面目な方なんだな、というのがコンサートの印象です。まず曲が終わるごとに腰を90度曲げて客席にお辞儀なさいます。毎曲ごとですよ、あれは腰にきそうです。そして会場が大阪城ホールでしたので、客席は360度あるのですが、きちんと全ての方向に向かって挨拶とお辞儀を欠かしません。それからもう一つ。歌が音程を外れないのです。ライブということでその場のノリでアレンジしたり、わざと外してみたり、そういうのってあると思うのですけど、これがない。そもそも背後にオーケストラを従えて、客席からは手拍子で、その中で自分一人の声だけがマイクで大きく増幅されて響くというのはもちろん緊張もあるでしょうし、それ以前に非常に音程の取りにくい状況であると思うのですが、見事に丁寧に歌っておられました。

 私の席はアリーナ席ではなく、アリーナを囲む外部でそれも結構上の方だったので、槇原さんの表情までは見られませんでしたが仕草などは充分観察できました。対角線上の向こう側にお客さんも、顔までは見えませんが充分人として認識できる範囲です。これくらいのキャパシティがちょうどいいんだろうなという気もしました。ステージも見やすく、客席の一体感もあり、適度に盛り上がり適度に「内輪」な感じがする。
 同時にライブっていうのはわりと残酷な場でもあるんだなとも思いましたね。曲ごとにお客さんの反応がやっぱり違うのです。その曲の善し悪し、受け入れられているかどうかが空気で分かってしまいます。客層は30代くらい中心に、もっと若い人から子供連れから初老まで、全体として落ち着いた雰囲気だったので、なおさらそれが強く出たのかもしれません。私が歌手なら、この状況を嬉しいと感じるか厳しいと感じるか・・・ちょっと考え込んでしまいました。

 ともあれ、それでも終盤になるに連れて盛り上がり、みんなで手拍子して合唱してぱっと場内が明るくなった所が今回の最高潮かなと思います。聞いた話ですが、ライブ会場では歌っている歌手さんからは客席は真っ暗で見えないものらしいです。ライトの逆光にもあたりますし。しかしあのように会場に完全に電気がついてしまうと、さすがに客席も見られるでしょうし、客側も全ての客仲間を見ることが出来、一体感という点でとても素晴らしい演出でした。まあそれも、あの会場の広さがちょうどよいことも相まってのことだろうな、と思いましたけど。

 私は今、東京旅行をひかえており、小心者なので前夜から心臓ばくばくだったんですけど、なんだか勇気をもらいました。あそこでああしてスポットライトを浴びて、一人で何万人もを相手にして歌っている人がいる。きっと怖さも興奮も快感も苦しみもあるのだろう。でもそれでも、彼は歌うことを心底楽しんでいるし、彼の歌声は丁寧で優しくそして明るい。
 素敵な一夜でした。帰り道では誰もが静かに幸福そうに、今夜の夢を振り返っている。そんなライブコンサートでした。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。