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「アイランド」:してはいけない問い [映画]

 完璧な環境。朝起きた瞬間から快適な眠りがあったかをスキャンされ、排泄物の内容で体調がスキャンされ、自動的に着るものが出てきて(ただし毎日同じ)、体調によって管理された食事が用意され、とはいえ配給者の気分で少しは調整してもらえる余地はあり、仕事はきちんと用意された高度なもの(だけど何をしているかは知らない)、夜になれば娯楽も与えられ、多彩なドリンクを飲みながら(どれも非アルコール)、最新鋭のバーチャル格闘ゲームを楽しむ。
 外は汚染されているので、人類が生きていける空間はこのタワーの中だけと限られているが、唯一汚染されていない「アイランド」に移住できる権利が時々、まったく無作為の抽選によって与えられる。選ばれた人は周囲から喝采を浴び、人々はいつか自分も選ばれることを願って、日々の生活にいそしむ。完璧な環境、管理された平和で安全な暮らし。・・・でも、何か変だ。
 そう感じてしまったら?

 というのが、この映画の冒頭です。予告編などではもうちょっと先までネタバレしていますが、そこまで公開してしまう必要があったのかなと、多少疑問に思わなくもありません。まあそんなに面白さを削ぐわけではないのですが(充分に予測できる範囲なので)、他に大きな謎や盛り上がりはないので、秘密にしておいてもいいのではと思ったわけです。
 話としては本当に予測できる範囲で収まります。どちらかというと見所は、あちこちにはさみこまれるチェイスシーンです。走って逃げる、車で逃げる、エアバイクに乗って逃げるetc・・・。実に多様です。あと、ちょっと「マイノリティ・リポート」を彷彿とさせる、近未来SF的小物があちこちに散りばめられていて(マウス的三角錐で操作するデスクトップ発展系作業机とか)、そういうのが好きな人にはポイントにくる気がしました。・・・そういえば、マイノリティ・リポートも「誰でも逃げる」がコピーでしたっけ。
 最後にもう一つ、見ながら「これ、アレに似てるよな」と一生懸命考えていた作品があって、ラストシーンを見て「おおッ」と分かったのですが、それはまた後に取っておきます。

 さてそういうわけで話は戻りますが、主人公はそのような恵まれた環境におかれながら、抱いてはいけない問いを抱くのです。「なぜ、外は汚染されているのに次々と生存者が見つかるのか」「自分たちがしている仕事は何なのか」「どうして服は白と決まっているのか」「アイランドって何なのか」。どうして?どうして?どうして? まるで小さな子供のように、主人公は周りに問い続けます。
 ところが他の人間達はそのような問いを持たず、むしろそんな主人公を変わり者扱いして、問いかけを面倒なもの扱いします。それでも主人公は湧き上がる好奇心を抑えられません。問い続けます。なぜ?なぜ?なぜ?
 ・・・そうして、彼は開いてはいけない扉を開いてしまうのです。


 私はこの主人公の気持ちも分かりますし、彼を厄介だと感じる周囲の気持ちも分かります。変化っていうのはおっくうなものです。特に今の環境が充分に恵まれた、不満のないものであるのなら。そして問いというのは常に変化を伴ってくるのです。何故なら問うことは、周囲を破壊し、再構築することであるから。
 この場合の問いは、結果的によい方向への変化をもたらしましたが、それはあくまで結果論であって、現実にはそうではない場合も充分に可能性としては残されているのです。周囲の普通の人々は、そのことにほとんど本能的に気が付いていたから、主人公を疎外して変わり者扱いしたのでしょう。
 「管理者」たちにとっては、彼の問いはより危険なものでした。それこそ致命的な破綻を引き起こしかねないほどの。・・・さて、その致命的とは誰にとって致命的であるのか。主人公か、それとも管理者達か。この押し付け合いの構図が、つまりはチェイスシーンになります。

 ・・・ネタバレなしで語ろうとすると、どうにもこうにももどかしいですね。うう、大したネタじゃないから公開してもいいやと考えた予告編製作者の気持ちが、なんとなく分かってきました。あとあんまり期待を持たせすぎると、後から文句言われそうだという気持ちもちょっと。私は破綻や変化を好まない、小市民的性格なもので。
 まあそれはさておき。


 してはいけない問いというのは、いつの時代もいかなる場所でも存在します。大昔でいえば、「本当に人は神が作ったのか?」「動いているのは天ではなく地球なのではないか?」。現代でいえば、「どうして人を殺してはいけないのか?」「なぜ人のクローンを作ってはいけないのか?」「脳死は人の死なのか?」「堕胎は悪なのか?」。どれもこれも、ヤバイ問いです。時と場所を選ばなければ、それこそ社会的にあるいは肉体的に抹殺されかねません。問うだけでなく実行するとなれば、なおさらです。
 それでも人は問います。そして論争し続けます。何故なら、それが必要だからです。社会の発展のために、科学の発展のために、よりよい幸福のために。
 また一方の事情をいえば、そうやって問う人間はいつのいかなる時代でも必ず現れて世の中をひっかきまわすので、その波乱に対抗するためにも「逆に問う」という対決スキルが必要となるのです。・・・いやまったく、問いとは厄介なものです。

 そうして多分、いつかの未来には、「どうしてロボット(あるいは人工知能コンピューター)に人権はないのか?」という問いが提起されることでしょう。いつの日か。私はそれに憧れ待ち焦がれますが、一方で「ヤバイな(まだ答えは出ていないぞ)」という思いも捨てきることは出来ません。
 さて、そういうわけで、私がこの映画を見て「似ている」と思ったもう一つの作品は、ロボットのアイデンティティを問題にした「アイ,ロボット」でした。いや本当に似ているんですよ。絵とかラストシーンとか。
 あれも、ロボットの中で一人(一体)、異質な存在として「目覚めて」しまったロボットの、「私は存在してはいけないのか?」という問いかけが物語の重要なテーマとなっていました。それは彼一人の問いに留まらず、社会全体を変革する可能性のある問いであったことも同じです。

 なんだか元の映画「アイランド」から離れて随分遠くまで来てしまった気がしますけれども・・・。そういうわけで、この映画「アイランド」は「してはいけない問い」の映画だと、私は見たわけです。一方で「してはいけない問い」とは、社会に破滅をもたらすかもしれないけれど、未来のために必要なものであるということも。新しい扉を開くことは常に危険であり、同時に必要なのです。

 映画としては破綻のないかわりに大きな驚きもない作品でしたが、そこから見た人がどう考えていくかが、多分この映画を楽しめるかどうかの鍵であり、同時に製作者側の意図したことでもあるのでしょう。

公式サイト:http://island.warnerbros.jp/


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