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「亡国のイージス」:政治が介入する余地 [映画]

 久々に映画館で映画を見に行ってきました。といっても「電車男」や「スターウォーズ」のリピート見なんかには行っていたんですけど。このブログに新作映画評を書いたので言えば、7/3の「宇宙戦争」以来ですから、本当に久々です。

 そして、これが実に面白かったのです。いつものように事前にブログや掲示板である程度様子見してから行ったんですが、そんなに絶賛って程のこともなく、おまけに私は最近勉強で注意力散漫になっているので、なおさら期待せずに行ったんですが・・・。すごかった。


 まず、話がとてもコンパクトにかつ適切にまとめられています。ぶつ切りという批判もあるみたいですが、原作のことは粗筋しか覚えていない頭で見た限り、一つの映画として起承転結しっかり説得力を持ってまとまっていると思いました。女性工作員の部分などは弱いですし、あといかにもカットした(端折った)んだなと思わせる部分は、さすがにありましたけど。

 元々、福井晴敏さんの小説は細かいディティールが魅力ではあるのですが、枝葉末節まで書き込みすぎて重い,という印象も抱いていたのです。だって、元から映画化することが決まっていた「終戦のローレライ」まで、単行本でも上下巻、文庫本で4冊って、絶対に書きすぎです。そんなの2時間の映画にまとまるわけないじゃないですかッ。福井さんは「書きすぎる」作家であるということは、この一点からでも明らかだと思うのです。
 でも、その細かさと執拗さこそが魅力であるということも認めます。ただ映画監督は大変です。けれど観客(読者)はまず映画を入門編にして、気に入って興味を持ったら原作でより深く楽しむという方法もとれます。

 ともあれ、そういうわけで話のぶつ切りは、私は上手くまとめられているという方向に受け取りました。これは編集の妙も大きかったと思います。
 「ローレライ」も全体としてはテンポのいい映画でしたが、いささかぶつ切りという感が抜けきらず、それは一つには編集の緩急の付け方が悪かったからだと考えています。「いいシーンなのは分かるけど、どうしてこんなに長い時間を割く?」という部分があって、それが勿体ないと感じられてしまった気がするのです。
 でもこの「亡国のイージス」は変に感傷を引きずりすぎる部分が少なく、全体を一つのリズムが貫いていて、それが作品に一貫性を生んでいました。感動のあまりパンフレットも買ってしまったのですが、それによると監督も「いつもの自分の間合いはガンガン切られている」(45ページ)と発言していますので、これはやっぱり編集の功績だと思います。

 しかし、かといってハリウッド的というわけではありません。充分に日本的です。物語の日本的な部分をこの編集は少しも壊していません。感傷は感傷としてちゃんと引きずっているのです。ただそれはシーンを引きずるのではなく、テンポ良くカットすることで後味を残すという、そういう感傷の引き方なのです。これは上手いと思いました。


 役者陣の演技は文句なく素晴らしいです。
 私は原作を先に読んでいたので、主人公の仙石先任伍長はもっと親分肌の、いかにもオヤジ然とした人を想像していたんですけど、真田広之さんの仙石も充分に魅力的でした。ちゃんと生活の臭いがするのです。この人は年月を積み重ねて生きてきたんだなという感じがするのです。きっと手の平はマメだらけで、皮膚は分厚くなってしまっているんだろうなという気がするのです。
 若者に未来を見る世代と、若者の世代の間という難しい部分、働き盛りなんだけど、そのピークは過ぎようとしているという実に微妙な世代を、その少しの悲しさを、本当に上手く表現していました。ああこの人はなるほど、「オケピ!」ではコンダクターをやる役者さんなんだなと・・・なんか話が飛んでますが。

 彼とコンビを組んで戦う如月役の勝地涼さんは、反対に若さがはじけていました。それも、下手に触ったら爆発するぞという危険な若さです。だけど彼は歪んではいない。一見屈折しているようだけど、根本的なところではなんら歪んでいない、そんな強さもしっかり見せていました。キレのいいアクションにも惹かれました。

 若者世代に対する、親父世代。その悲しみを演じるのは、宮津副長こと寺尾聰さんです。もうとにかく渋かったです。無表情で何かを堪えるように、ずっと同じ姿で立っている、それだけで彼の心が痛いほどに伝わってくるのです。二度目にこの映画を見るとしたら、彼の顔をずっと注視して見てみたい、そんな存在感でした。

 工作員役を演じる中井喜一さんの不気味さも、素晴らしいです。この人の顔ってこんなに不気味で怖かったんだなと思いました。よくよく見れば整っていて、美しいものも醜いものも何もかもをそぎ落とされた顔なのです。ただ目だけが暗く光っている。そして話し言葉は日本語なんだけど、微妙にイントネーションがおかしい。そういう細かな演技で、怖い存在感を出していました。けれどそんな彼が終盤で見せる悲しみ。これには胸を突かれました。
 相変わらず表情は変わらないのです、ただ動きが激しくなり、そして余裕がなくなっていく。それだけなのです。それだけで、悲しくて辛い。


 他に面白いなと思ったのは、普通こういう物語では、オロオロしてただうろたえるだけの役を振られることが多い内閣総理大臣が、ちゃんとそれなりに有能だったことですね。これは原作からですけど。有能といってもテキパキと完璧に物事を処理するわけではないのです。でもただ総理になったんじゃないぞという、リアリティのある物事の処理の仕方なのです。

 私が何よりこの物語を好きになったのは、こういう部分です。良い意味で伝統を引きずっておらず、ドライなのです。
 この映画は日本人に「今のままでいいのか?」と訴えかけていますし、非常に強いメッセージ性も持ってはいると思うんですが、どういうわけか押しつけがましくはない。普通に血湧き肉躍るエンタテイメントとしても楽しめます。そして、「まあこれは作り事だからね」と切って捨てることもできるのです。
 ・・・制作陣は、なんだかそれでもいいと考えているような気がしてなりません。ただもしも考える人がいれば考えて欲しいと、ある程度ドライに、そしてだからこそ現実的に、強く深くテーマを見つめているような。

 そう、この映画はエンタテイメントなのです。これだけ重いテーマを持ち、今の日本ではタブーとされるような部分(自衛隊の存在意義)にまで踏み込みながら、立派にエンタテイメントしているのです。普通にアクションものとしても、軍事ものとしても、政治ものとしても楽しめます。
 架空のこととしてちゃんと成立しているからこそ、冷静に現実と見比べて考えることも出来るのです。私はそういう姿勢が何よりも好きです。現実的テーマにも甘えず、作り事であることにも甘えず、両者の間を渡りきってみせた、そんな作品だと思います。

 ちなみに私がこの映画を見ながら考えたのは、「戦争において政治が介入する余地」でした。一旦戦争が始まって(テロでもいいですが)、暴力が始まってしまってから、そこにどう政治という話し合いを持ち込むか。どこにその隙があるのか。・・・ネタバレになってしまうので、具体的にどこに見いだしたのかは書きませんが、つまりは隙です。私は確かにそれを見つけました。
 面白い映画でした。


 あとですね、これ、パンフレットがとても豪華なのですよ。値段も千円と高いのですが、登場人物紹介や出演者インタビューに始まって、監督と原作者の対談、プロダクションノート(制作日記)、絵コンテや撮影風景が写真付きで詳しく載っています。さらに映画の台本まで完全収録。これはちょっとすごいです。この映画を好きになった人が欲しいと思うであろう情報が、網羅されています。愛を感じました。

 ただ、海上自衛隊の秘話暴露コラムの題名が、「こんなにしゃべってイージスか?」なのだけは、いかがなものかと思います。映画公式サイト上でも、この名前でBLOGやっていたらしいんですが・・・。
 「こんなにしゃべってイージスBLOG」。・・・何も言うことはありません。

公式サイト:http://aegis.goo.ne.jp/


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