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「きらきらひかる」:相対的な幸せのかたち [小説]

 ちょっと価値の相対化と絶対化について考えてみたくなって、この本を本棚からひっぱりだしてきました。これは江國滋さん(関連記事)の娘である江國香織さんが書いた、映画化もされている有名な本です。
 アルコール中毒で精神不安定な女性と、医師で同性愛者の男性が、お互い合意の上でセックスのない夫婦になるというお話です。そこに、夫の恋人である若者や、同僚たちや、夫婦それぞれの両親なども登場します。

 お話としては、一昔前のトレンディドラマみたいで、現実味がなく、女性の精神不安定さは妙にリアルですが(それも、こうありたいという意味でのリアルですけど)、男性はまず現実にいないだろうというか存在できないだろうというリアリティのなさ。生活の細かなディティールまでも、リアリティがないという以前にあまりにも絵空事めいていて、受け付けない人は絶対にダメだろうなという、そういう小説です。私も久しぶりに再読してみて、最初のうちはちょっと拒否反応を起こしそうになりました。
 しかしそれでも読んでいるうちに、この酩酊状態がなんとも心地よくなり、結局最後まで読み終えてしまうのです。しかもその後には、題名のようにきらきらひかるものが心にいくつも残っていることに気付くのです。
 まったくもって、不思議な小説です。


 絶対的な価値とは何でしょう。男は女を愛すること? セザンヌの描いた絵に向かって歌いかけ、鉢植えの木に人間と同じ紅茶やお酒をあげるのは変? このお話を読んでいると、何が普通(絶対的な価値)で何がそうじゃないのか、どんどん分からなくなっていきます。その感覚が、とても心地よいのです。

 笑子さん(精神不安定な妻)は言います。「このままでこんなに自然なのに」(文庫版103ページ)。ああ、そうであったら、どんなにいいだろうと思わずにはいられません。お互いを思い遣り気遣い、暖かく幸せに流れていく時間。束縛せず、されることもなく、したいことをして生きていく。自分にとって自然なことは、社会から見れば不自然だと糾弾されるけれども、この不自然な家庭の中では、それは自然なこととして許容される。どこまでも居心地のいい空間。
 だけど、そう、そのままではいられないのです。少しずつ、破滅は音を立ててしのびよってきます。例えばそれは二人の両親です。彼らはもちろん、自分の娘が同性愛者と結婚しただなんて認めようとしませんし、夫側の親だってセックスのない結婚、子供を作らない夫婦の有り様には、控えめにしかし断固として異議を唱えます。
 それこそきらきらひかる欠片のように、ばらばらになってしまう危険もはらみながら、それでも二人の生活は甘くふわふわと夢のように続いていきます。その生活の、笑子さんならずとも思わず泣いてしまうような、奇跡的な儚さ。きらきらひかる、日々の暮らし。

 絶対的な価値とはなんだろうと考えるのです。世の中の絶対的な価値、善や悪と決めつけられているものが、この二人を傷つけるものであるのなら、そんなものなくたっていいんじゃないかと。相対的に見れば彼らは幸せなのだから、きっと幸せであるのだから、これでいいんじゃないかと。
 だけど、彼ら自身もまた、揺れているのです。絶対的な価値観に背を向けて相対的に幸せであろうとすることは、とても不安定で不安なことなのです。だから彼らが本当に幸せであるのかどうかは、分かりません。部外者にはもちろんのこと、彼ら自身にも、たぶん、分かりません。でも不安だからこそ、彼らはお互いをいつくしみあい、守ろうとします。それが、ただ、美しいのです。


 絶対的な価値というのは、しばしば傲慢でかつ破壊的なものです。そこから外れようとするものを許さない。だけど強固で安心できます。
 相対的な価値というのは、常に不安定でたゆまざる努力を必要とします。とても疲れる状態なのです。それでも、自分らしくあることが出来ます。
 どちらにもいい点があり、そして悪い点があります。

 この物語は、自分たちにとっての(相対的な)幸せを模索する夫婦が、(絶対的な)あるべき幸せの形を押しつけようとする社会の中で、肩を寄せ合って生きていくお話です。そしてその二つの価値観の中で、微妙に揺れながら暮らしていくお話です。
 でも、もちろんそれ以外の読み方もできます。価値観はいつだって、多様で相対的なものです。ただ私たちはその中から、いくつかを選び出して自分の中で絶対化します。この文章もそうです。「このような読み方」というある種の絶対化を行っています。
 絶対と相対は絡まり合いながら存在します。人はその両方から逃れることは出来ません。

 絶対的な幸せと相対的な幸せ、人は常にその間で危うく揺れています。
 でも究極的な願いは幸せになること。願うのは、ただそれだけなのですけど。

きらきらひかる

きらきらひかる

  • 作者: 江國 香織
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1994/05
  • メディア: 文庫

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