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「パブリック・エネミーズ」:自分が生きた証 [映画]

 歳月ほど人に無常なものはありません。時の流れは心の傷を癒してもくれますが、月日の移ろいは昨日当然であったものを今日には不確かにし、明日にはまったくの無意味に変えてしまいます。

 「パブリック・エネミーズ」は元はノンフィクション本で、つまり実際にあった出来事、実在の銀行強盗と彼を愛した女性、彼を追った刑事の物語です。
 ジョニー・デップ演じる銀行強盗のジョン・デリンジャーは、ほぼ完璧な人間として描かれています。頭がよく仲間を見捨てず信念を持って仕事をし、視線と言葉だけで一人の女性を犯罪者の世界へと口説き落とし、窮地に陥っても決して自らの美学を捨てず、死を恐れない。微笑まないかわりに怒ることもない、終始穏やかな目に見え隠れするかすかな狂気。彼に足りないものはただ一つ、犯罪者、社会の敵(パブリック・エネミー)であるということです。
 本当に何が足りなかったのか。それはたぶん問題ではありません。時代を動かす人間がそうであるように、彼もまた、ただそう生まれ着いたのでしょう。ルーズベルト大統領、ベーブ・ルース、クラーク・ゲーブル。ロングコートを着て山高帽をかぶった男たちが街を行きかう時代。まだ連邦警察が設立されておらず、州を超えた犯罪に対してFBIという組織が作られようとする転機に、彼は遣わされました。
 時代が彼を生み、次の時代が彼を見捨てた。ただそれだけです。

 人は自分の生まれる時代を決められません。また、自分が何になるかも完全には決められません。現代においても高学歴ほど親の年収が高いことは、周知の事実です。では生き方は? 生き方は自ら決めることが出来るのでしょうか?
 どんな貧しい暮らしに生まれ、犯罪者にしかなれなかったとしても、高潔であることは出来るのでしょうか。人を愛し、仲間を想い、生きた証を時代に刻み付けることは出来るのでしょうか。

 おそらく出来ると思います。人は自らの生き方だけは、自分で決めることが出来る。……ただ、それが他者から、そして社会からどう評価されるのか、それは自分では決めることが出来ません。
 戦国時代に生まれた殺人狂が英雄となるように、これもまた時代が決めてしまうことなのです。

 それでも……。人は精一杯生きていきます。今の時代に評価されずとも、後の世にでも悪人とされても、きっと誰かはわかってくれると思いながら。時の流れの中で、すべては移ろいます。だからこそ、いつか誰かに出会うと願いながら。
 
 そんな大層な話ではないのです。どうしてデリンジャーは危険だとわかっていて、ある女性を愛し彼女を迎えにいったのか。それが答えです。
 彼はただ、自分が生きた証をその瞳の中に見出したかったのです。
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