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「2012」:定めは獲得するもの [映画]

最近疲れていたにも関わらず、最後まで眠らずに見られたので、つまらない映画ではなかったのでしょう。
ともあれこれは、2012年に世界が終わるというマヤ文明の予言から、実際にその年、世界が週末を迎えるという設定で人類のサバイバルを描いた映画です。派手で緻密なCGがウリで、ストーリーにさほど重きは置かれていません。

いやまったく、別の意味でストーリーには苦労したんだろうなと思わざるを得ません。
日本人なら、日本映画なら、死にゆく者たちの悲哀とドラマを描くでしょう。
しかしアメリカ人にその発想は少ない。どうしても生き残るということに、焦点を当てざるを得ません。しかし地核の温度が上昇し、世界中で地殻変動が起き、火山が噴火し、大津波で陸地の大部分が沈むという状況において、人類を生き残らせることは困難です。
「アルマゲドン」のような隕石ものなら、隕石そのものを破壊して人類全体を救うようなことも可能なのですけれど。

結局のところ、数年前に危機を察知した各国政府は、密かに箱船を造り、数十万の人々を救おうとします。……わずか数十万。それがどんなに悔しいことであるのかは、生き残り組を指揮する大統領首席補佐官が、まるで悪役のように描かれている事でも分かります。
客観的に見れば、彼は決して悪ではなく、自らの役割に忠実な悲しい人なのですけど。

そしてアメリカ人というものは、困ったものだと思う箇所がもう一つありました。
劇中でイタリアの首相は国民と共に祈りの中で死ぬことを選ぶのですが、エリザベス女王(とおぼしき)人は、犬を連れて箱船に乗り込むのです。
実際はどうか分かりませんが、私の感覚では財閥出身者が多いイタリア首相が死を選び、女王のような人が生き残ることを選ぶのは、あまりリアリティがありません。
本当に国際感覚がないんだなと思う一方で、なぜそこまでアメリカ人は「理解できない」のかにも興味が湧きました。

実は、アメリカ側の要人にも一人、留まって死を選ぶ人間がいます。
だからアメリカ人にノブレス・オブリージュ(高貴な義務)の概念がないとは思わない。ただ、彼らにはそれが生来のものであるとは理解できないのでしょう。
アメリカ人にとって、定めとは、あくまで人生の中において獲得していくものなのです。

つまり、主人公家族が生き残るために必死の努力を重ねるように。
箱船に乗る人々が、最後まで迷い、助けられないことを苦悩するように。

それでも変えられない定めはあります。
その前で足掻くアメリカ人は、無力で無様でどうしようもなく美しくありません。

でも、諦めないことは大切です。
彼らのその無様さこそが、他の誰もやりたがらない「世界の警察」、「パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)」をある程度実現させているのも確かです。

けれどこの世にはどうしようもないことがあって、その前に頭を垂れることを我々は知っています。
定めとは、獲得すると同時に受け入れるものでもあるのです。
アメリカ人にはそれが出来ないのでしょう。
彼らは最後まで、泣きながら何とかならないかと足掻き続ける、心優しい愚者なのでしょう。

それでもどうにでも出来ないことがこの世に現れた時。
「なんとかならないか」と、一番奇跡を願っているのは実は彼らであることは、本当に皮肉なことです。
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