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「ザ・マジックアワー」:進化し続ける永遠に未完成な男 [映画]

 三谷幸喜は独特である。演劇界の中では抜きんでてエンタテイメントの側だが、テレビ界の中では非常にマニアック。本来どちらの世界からも浮いてしまうはずなのに、自分の居場所というものをしっかりと確保している。そんな人間を天才というのだろう。
 さて、三谷の映画最新作「ザ・マジックアワー」だが、私はこれに今も進化し続ける彼の姿を見た。ギャングのボスの愛人に手を出した部下が、失敗を取り繕うために売れない三流役者を伝説の殺し屋だと偽る。役者にはこれがギャング映画の撮影だと言い聞かせて。この設定だけ聞けば、三谷が得意とするシチュエーションコメディである。だが、以前のような笑いの連続を期待していくと肩すかしを食うだろう。そのかわりに泣ける。悲しみではなく喜びで、しかし喪失も同時に含んだほろ苦い涙を、スクリーン上で見ることが出来る。それも周到に張り巡らされた伏線の結晶として。このような泣かせの構図は、「新選組」や「コンフィダント」を書く中で身につけられたものだろう。もっともこの映画自体はあくまでコメディである。ただしひたすら砂糖を投入するのではなく、そこに塩も入れることを覚えたような大団円だ。
 この映画は三谷が今まで撮ってきた中での最高傑作だろう。しかし完全だとは決して思わない。冗長癖は相変わらずだし、やはりもっと笑えるものに出来たはずだ。それでもやはり彼から、そしてこの映画から目が離せないのは、人が欲して止まない独自性というものを持ち、これだけの地位を築きながら、なお進化し続けようとする彼の姿があるからだろう。この作品を作り上げたことでまた一つ彼は知り、学び、次はどんなものを見せてくれるのか。予測は付かない。
 「ザ・マジックアワー」には三谷がこれまで築いてきたものと、なお未完成である彼の姿がそのまま投影されている。進化し続ける永遠に未完成な男、これほどタチの悪い中毒性をもった人間もそうはいない。

(798字)
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