SSブログ

ある大学院生の幸せ:M2の4月 [雑記]

 今回は久々に長文炸裂させたいと思います。私の院生生活も1年と3週間が経過し、M2(修士課程2年生)になり講義期間が始まってから2週間経ったところですが、どんな生活をしているかを。
 ・・・相変わらず愉快な日々です。


4月7日(土)
 それは講義開始日である9日の2日前のこと。担当教官であるO教授からメールが来ました。「9日に現在までの研究成果を報告してね(意訳)」。この一通で私がどれだけ恐慌に追い込まれたか。これから言葉を尽くして説明したいと思います。
 まずこの春休み、私が何をしていたか。盛大に見失っていました。何がかというと、修士論文の構想を。どう見失っていたかと言えば、「この研究テーマって果たして本当に面白いのだろうか」という、至ってシンプルな問いです。面白いというのはもちろん学問的に価値があるかという意味なんですが、別にこんな問い抱いて当たり前というか、「そこを面白くするんだよ!」というのが研究ってもんなんだと思います、今は。ともあれ自信を喪失していました。
 大体が休み中にはよくあることなのです。M1の夏休みも同じことを繰り返しました。私はどうも人との繋がりの中で、自分の立ち位置を見つけていく人間らしく、なのでこの休み中も研究会などには出来るだけ出るように頑張ったのですが、それでもぶくぶくと溺れるように見失いつつありました。一応、本は読んでいたのですが、これがどう自分の研究に結びついていくのか分からない。見失う、ぶくぶく。

 ・・・とまあそういうわけで、研究なんぞこれっぽっちも進んでいなかったのですよ。そ、それが2日後に個別面談で報告。しかも、その日(7日)、私は昼にSound HorizonのDVD上映会、夜にミュージカル「エリザベート」の観劇予定を入れていたのでした。遊びすぎです。・・・いやあの、どちらも1ヶ月前から決まっていた予定で、我が春休み最後を飾るイベントになるはずだったのですが。
 パニックに陥りながら私がやったこと、それは1週間後に報告予定の同じゼミの人と、順番を変わってくださいと頼み込むことでした。「これはヤバイ」と体内アラートが全力で危険を知らせていましたので、とりあえず逃げることに。
 そしてどのようなメールのやり取り、裏取引があったのかは、とてもここでは書けませんが、昼の京都での上映会、そのまま大阪に移動して夜の観劇の合間を縫いながら、約6時間にわたる駆け引きの末に替わってもらうことに成功したのでした。すみませんすみません。


4月9日(月)
 ダメっぷりを全力で晒しながら、講義開始日。いよいよM2です。修士論文を書く年です。いきなり敵前逃亡したという事実は、ひとまず忘れてください。新しく入ってきたM1の方々とご挨拶しつつ、まず最初の講義を終えて、私の代わりに心優しい同期生が研究報告に行ってくれている間、院生室で倒れていたり。
 いえ、一応いろいろ動いてはいたのです。1週間後の報告に向けて、どう固めていくか。1週間で付け焼き刃は無理(というか無駄)なので、結局春休み中に悩んだことをどう見せていくかというプレゼンテーションの問題なのですが、1日ではさすがにそれは無理だったんですよ(逆ギレ)。
 そ、その間に「順番替わるのはいいけど、Aaさんなら大丈夫だと思って4月下旬に合同ゼミでの報告予定入れちゃったよー(意訳)」という教授のメールに対しては、「はっ、やらせていただきますっ」と答えざるを得なかったことは、ここに報告しておかなければなりません。人間、弱味を突かれると弱いですね。あと、「大丈夫だと思って」とかおだてられると豚も木に登るよね。少なくとも私は登りますよ!

 さらに、今年から研究領域がかぶっている他学部のゼミにも参加させてもらうよう、春休みの間にせっせと交渉していたのですが、見事実ったのはいいものの、「17日(初回)に修論構想の発表お願いします」と言われていたことも、ここに書いておかねばなりません。きゅ(首が絞まる音)。
 いや、これもいろいろ事情があったのです。最初に頼んだ段階ではトントン拍子に話が進んでいたものの、途中私の見通し甘さにより時間がこちら(地元学部)での月に一度の合同ゼミと重なることが判明し、その時は地元ゼミを優先させてくださいと頼むあたりで、こう、すでに・・・。何言われても「やらせていただきます!」状態に。
 まあ過ぎたことはともあれ、そんなわけで私は気がつくと、1週間後の月曜に担当教授との研究報告、その翌日の火曜日に他学部での修論構想発表という素敵日程に陥っていたのです。いやむしろレンジ(射程)が絞れてよかったじゃん?とか考える阿呆でないと、大学院生はやっていられません。


4月10日(火)
 講義二日目。この日は新しくうちの大学に赴任された教授の講義がありました。まだお互い、なんとなく手の内を探り合いながら、文献の精読(1冊を徹底的に読み込む)をするということで、それぞれが発表する章の割り当てと順番決めを。しかし、ここで問題が。
 文献をまとめてレジュメを作って発表するというのは、大学院の講義ではすごく基本なのですが、M1の皆さんはまだやったことがないのです。学部時代にゼミでやっているとは思うのですが、院でのという感覚は分からないのです。が、先生は来週から始めたい(というオーラをびしばし感じる)。この講義に参加しているM2は私と、就職活動中のもう一人で、そやつは来週出られないという。・・・わ、私が発表すればいいんでしょー、ということに。きゅきゅ(さらに首が絞まっていく音)。
 これで来週は発表が3つという、超素敵日程になりました。

 それはそれとして、この日は地元合同ゼミの第1回、顔合わせの歓迎会の日でもありました。初回ということで新しく赴任されてきた教授が研究発表をされて、その後飲み会に。
 この研究発表がまた、格好よかったんですけどね・・・。どう格好良かったかは多少専門的な話になるのですが、分かりやすく適度に端折ると、余所(しかも理系)の最新研究をこっち(文系)に持ってきた挙げ句に、発展させて言い出したことが「人間を社会的に消す(抹殺するというよりカモフラージュに近い)にはどうすればいいか」。・・・格好いいですね。惚れますよ。
 歓迎飲み会自体は無難に推移し、その後大学の近くに新しく出来たバーで二次会に行き、私鉄の終電を半歩の差で逃してJRの終電を開拓してみたり、いろいろしつつ。


4月11日~12日(水、木)
 この日はオフでした。大学院の日程は学部よりずっとゆるやかで、M2になったことでさらにゆるくなり、講義があるのは週3日しかないのですが・・・。それで楽になったと考えるのは練乳のように甘いことを知ります。オフの日ってのはつまり、修論作業を進める日なんですよ。逆に言えば、講義のある日には修論作業が進められないのです。さらに講義の宿題なんかもあります。
 ああ、思えば他学部ゼミに行く話を担当教授にしたところ、快く送り出してくれるだろうと思った教授が(基本はそういう方なのです)、「無理しないでね(意訳)」と懸念を示された意味が今になって分かってきた・・・。手遅れだけど。ふはは。
 などと半分気が遠くなりつつ、実際に長い春休みのぼけぼけ状態から講義二日で体力的にもがくっときていて、結局作業は文献まとめの発表レジュメ作りのみで終わってしまいました。基本的に文献を読み込んでまとめるというのは単純作業で、修論構想書くよりはずっと優しいはずで、だからこそこっちを先に持ってきたのですが、これがまた進まないのです。いかに休みで頭がぼけているかを実感することに。


4月13日(金)
 この日は講義日ですが、基本は去年出られなかった学部講義に出る日です。学部講義(大教室講義)というのはやはり、院よりはずっとペースがゆるいので、講義を受けつつ頭の中で戦略を練り直します。
 文献まとめをやりながら思ったもう一つのことは、恐怖症が出ているということです。ものを書く人間なら誰しもが持っていると思うのですが、「私はこれを書き上げられるのか」という恐怖。そして「面倒だ、嫌だ、ちゃんとしたものが出来なくて批判されるのが怖い」という、人間のベタに弱い面です。こんなのは考えても仕方ないことで突撃するしかないのですが、そのあたりのカンも忘れていました。しかしこれではいけない。土日は修論構想を書く日であり、土日で書けなければ私は来週派手に玉砕するしかないのですよ、あまり考えたくないことですが。
 考えたくないことは考えない。私はやれる。そう思わないと院生生活なんかやってられませんが、そういう思考停止も織り交ぜつつ、合間合間の息抜き用にゲームソフトを1本買うことも決定します。
 ・・・。いや、それは大切なことなのです。人間、体力か精神力、どっちかの限界が来たら倒れるしかなく、そうなったら結局勉強は進まないのです。私の場合、一番のストレス解消法は寝ることなのですが、寝過ぎると今度は体力的に辛くなりますし、寝るのは短くても2時間から3時間の作業ですから、それよりはTVゲーム1時間のほうがストレス解消としては効率的。という計算です。


4月14日~15日(土、日)
 このあたりは修羅場っていたので、あまり記憶がない・・・。なにしたかだけは覚えているのですが。寝て起きて食べて、パソコンに向かって今まで集めた資料のまとめをやって、TVゲームやって、倒れて横になりながら頭の中ではどうまとめるか、どのようにまとめることが今後につながる意義があるのか延々考えながら、また寝て、起きて、書いて・・・。
 私が修論でやろうとしているのはとある事例の研究なのですが、まずこの事例をちゃんと形としてまとめないと話が進まない気がしたので、それ中心にやりました。すでに去年、別の事例を論文未満にまとめて発表する作業をしていたので、その感覚を思い出しつつ。
 イメージとしては屠殺された巨大な牛肉の半身を前に、ナイフを手にして「さあどう美味しい部分を切り出すか」と考えるようなものです。もちろんこれは論文ですから、美味しい部分以外に、全体としてもくまなく公平に、分かりやすく切らないといけないんですけどね。
 しかし私はこれが嫌いではありません。むしろ好きなのです。血がたぎるとはこのことです。だからこそ、研究は止められないのです。とはいえ私がやっている、やりたい研究が、そのままプロ(研究者)の道へと結びつくようなものなのかは・・・まだ見えないのですけれど。


4月16日(月)
 さあ楽しい1週間の始まりです。まずは担当教授相手にプレゼンテーション。明日のことを考えれば全然楽だろうと思うあたりが、人間って都合がいい生き物です。わずか1週間前に敵前逃亡したことなど、はるか遠い過去です。昔のことは忘れろ。
 話し合いは至って穏やかーに進みました。論文としての書き方の戦略を教えてもらいつつ(ここから教わらなければならないあたりが、情けないと言えば情けないんですが)、誘導尋問的に自分がやりたいことも明らかにしてもらって。気がつくと「これがこうだから、面白いと思うんですよ!」とか力説している自分がいました。春休み中に散々「これって面白いのかなあ」とか迷っていた過去は・・・忘れて。
 「いや、これ面白いよ」と教授もおっしゃってくれたのは、私の勇気づけるためだったのでしょうか。今となってはよく分からないですが。でも信じておくことにします。・・・というよりも、「面白いよ」と期待を込めて言ってくださる方がおられるからこそ、私はこれを「面白く」しないとダメなのです。我々の師弟関係とはそういうものだと、私は思っています。


4月17日(火)
 そのような感じで見事に助走を付けて、他学部ゼミに突撃してきました。と、書きたいところですが、世の中そんなにすいすい進まないのが現実。
 大体にしてからが、昨日アドバイスもらって直すべきところを指摘されて、それを一晩で直すのがすでに小修羅場。私は月曜日も夜8時近くまで大学で講義受けて、帰宅は9時をとっくに過ぎていたのですよ。そしてまた、一晩ですべて直せるってものでもないですしね・・・。でもやれることはやりました。

 そして当日、まずレジュメ印刷があるので、いつもより1時間以上早く家を出ます。途中、百貨店の地下でお菓子を買います。・・・手みやげです。飴と鞭ではないですが、他学部にお邪魔するからにはまず差し出すべきものがあるだろうと。決して、これで手心加えてもらおうなんて計算ではッ(院はそんなに甘くない)。どちらかといえば、私の気持ち的に必要だっただけでございます。
 そして大学に到着し、2種類のレジュメを印刷してコピーして綴じます。そう、今日は他学部にお邪魔する前に、まず地元の講義で本の要約発表があるのです。
 この発表、「M1のみなさんに院の発表を見せてやるぜ」のはずが・・・。とりあえずさ、書いたレジュメは推敲しような!(ここだけの話)。ふふ、修論構想に気が行くあまり、書き上げた時点で気が抜けて推敲をすっかり忘れていました。3カ所くらいタイプミスが・・・格好悪いことこの上ない。まとめも、「まだみんな本を手に入れていないから、読んでいない人にも分かるように」とのことで細かくやったんですが、もうちょっと切り詰められた気がします。おかげでちょっと話を膨らませて語っていたら、すぐに終了時間が来てしまいました。んあー、すみませんすみません。反省。

 講義が終わるとすぐに教室を出て、電車とバスを乗り継いで他学部へ。他学部なんですがキャンパスが違うので行くのに1時間半くらいかかるのです。遠いよ。しかも山の上。見晴らしの良さはすごいと思いましたが、ここにキャンパス作っても・・・控えめに言って下界との隔離では。
 そんなことも思いつつ、とりあえず行われていた講義に「入れてくださーい」で参加。・・・いや、ちゃんと事前にシラバス(講義内容案内)読んで教室も調べてありましたよ。せっかく私の研究領域(ちょっとマイナー)をやっている先生方がいらっしゃるのに、ゼミ参加だけなんてそんな。しかし、控えめに言っていけずーずーしいことは否定できない。
 そのような私を快く迎えてくださったK先生の恩は山より高いのです(こうしてまた、足を向けて寝られない人が増えていく)。K先生は・・・以前から論文は拝読していたのですが、お名前が中性的なので勝手に男性だと思いこんでいて(ジェンダー論的に大問題)、研究内容もかちっとしていてシャープなので切れ味鋭い怖い方を想像していたら、可愛くて優しい方だったので二度びっくりしました。講義の内容も面白かったです。やはり普段やっていることとは切り口が違うので新鮮で、それでいながら興味深いテーマで。

 さて肝心のゼミ発表ですが。当日のmixi日記より引用→「右手に修論構想、左手に手みやげのお菓子を持って、他学部に殴り込みに行ってきました。結果は…、見事にカウンターで殴り返されて顔面ぼこぼこに腫らした試合後のボクサー状態で、「いい汗かいたぜ」と言いながら倒れ込みたい状態?」。楽しそうですね。楽しかったんですけどね。
 今思い返しても、その日初対面の四人の教授に取り囲まれて、修論内容をぼこられつつ(叩かれつつ)、ひたすらに応戦し続けるのは至福の時でした。敗北なのは分かっているんです、こっちが知識も足りなければ考えも足りず、間違っているんです。でも、それでも自分には書きたい何かがあって、訴えたい何かがあって、しかも相手方もちゃんとそれに向けてガードは空けておいてくださるので、そこに向かって懸命に手を伸ばすのです。そうしているうちに問題点が明らかになり、同時に解決への道筋も見えてくる。それはやっぱり、限りない幸せな時間です。
 地元学部の合同ゼミだと、もうちょっと(私の)受け答えがぐだぐだになりやすいんですけど。やっぱり適度な緊張感がよかったのかな。
 その後はお食事にまで誘っていただき、研究のことから趣味の雑談まで、幅広くお話していただきました。本当に有り難い限りです。そしてK先生には高校生の娘さんがいらっしゃることを知り、三度目の驚きが。見えない、とてもそうは見えないですよ!


4月18日~19日(水、木)
 さすがに倒れていました。頭はまだ興奮が醒めず、しかし体は限界を訴えるという、ちぐはぐ状態なのが一番辛かったです。ぐっすり眠ればいいんですけど、変に目が覚めたり。それでMLBの松坂投手の試合を見て、また眠ったり。それでもなお、修論構想をどう直すかで頭はいっぱいだったり。
 なにせ次は24日に地元合同ゼミでの発表ですから。極端な話、17日に発表したものと同じものを出してもいいのです。みんなは知りませんからね。でもそれは自分が許せない。だから、これはやっぱり自分との戦いなのです。諦めたり手を抜いたら、そこで負けなのだと思います。


4月20日(金)
 とはいえ、やっぱり気は抜けていたようで。学部講義に出るものの、眠くて仕方ない。机に突っ伏していたら(一応意識はあった)、「眠いでしょうけど、頑張りましょう」と嫌味が飛んできたー。その瞬間がばっと起き上がる、この上なく格好悪い人間が院生であることは、とても学部のみなさんには秘密です。・・・しかし准教授(助教授の呼び名が変わりました)には、ばれているのだろうか。大学院は担当されていないので、顔は覚えられていないはずなのですが。学会準備とか研究会で中途半端に会ったことはあるからな・・・。うくく。

 他にも休講なのを忘れていて待ちぼうけしたり、阿呆をさらしつつ、それでも図書館で他学部ゼミで教えてもらった資料を漁り、電車で帰る途中、同期生にメール打ちながら「この週末もゼミ発表に向けての準備です。思ったのですが、もしかして我々には、修論を完成させるまで完全休みな週末というものは到来しないのでしょうか」と述懐。ないんだろうな。
 思い立って本屋に寄ってみたら、下旬発売の漫画や小説がいくつか出ていて買い込んで、「貴方は今本を何冊持っているのですか」状態に。10冊は軽く越えていた・・・。というか、すでに下旬という事実がまず信じられなかったり。24日にはゼミ発表ですが、翌25日にはSound HorizonのDVD発売、26日には「エリザベート」の二回目観劇ですよ。「私はこの25日を生きて無事に迎えられるのだろうか」が、学期が始まった当初の懸念だったのですが、気がつくと目の前に。
 ところでその前に突っ込むべきところは、「どうこう言いつつ、おまえは遊びまくってるやんけ」であることは、各自胸の内にしまっておいてください。

 その夜はまた、修論構想の直しをして、章立てを中心に戦略を練り直して、今日に至ります。


 そのような感じでございます。わずか2週間というのが、自分でも信じられないですが、こんな感じでございます。たぶん、今年はずっとこんな感じでしょう。ミュージカル映画「Chicago」の「Move on」じゃないですが、「私はこのマラソンを走り抜く」です。あとたった8ヶ月ですから・・・まあ、なんとか体力は保つでしょう。

 研究は・・・どうこう言いつつ楽しいのです。私はこの1年、多くの人との繋がりを作りました。先生方、同期生たち、学外の方とも。たくさんの人に支えられ助けてもらい、時には愚痴も聞いてもらって、期待していると言ってもらえます。それだけの環境が、この1年で出来ました。ありがたいことです。
 去年はずっと修論に向けての「問い」を煮詰めながら、それでもまだ書き始めることは出来ませんでした。今年はいよいよ書くことが出来るのです。屠殺後の牛肉を前に、ナイフをきらーんです。今でも不安は定期的に襲ってきますが、もう前を向いていくしかありません。
 私は元々議論好きで戦い好きの物騒な人間だったのですが、研究というのは間違いなく戦いで、しかし誰も傷つけない戦いです。二次的には誰かが傷つく可能性はありますし(それは忘れてはいけない大切なことです)、自分は消耗するでしょうが、それでも敵はこの世の真理です(おおざっぱに言えば)。戦って戦ってなお足りないことを知る。
 これ以上に幸せなことがあるでしょうか。


nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

nice! 1

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。