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「ブラザーズ・グリム」:そういうやつは作家になるしかない [映画]

 グリム兄弟を主人公として、彼らの童話に出てくる数々のモチーフを散りばめ、少々ブラックなコメディとして作られたこの映画。映画中でグリム兄弟は行く先々で自作自演の幽霊騒ぎをでっち上げ、それを解決してみせることで路銀を得て旅を続けるというかなり最低な生き方をしています。
 彼らの最低っぷりはそれだけに留まりません。特に弟! こやつがかなりどうしようもない。

 幼少の頃、彼らの妹が死に瀕する病に冒されていて、家族は弟になけなしの家畜を売ってそのお金で医者を呼んでくるように頼むのですが、彼はその家畜を道行く人に持ちかけられた「なんでも願いが叶う魔法の豆」と交換してしまうのです。・・・もちろん詐欺です。
 現在(映画中)でも弟は兄にそのことで散々虐められていますが、彼はその頃から一向に変わっていません。そもそも妹が助かったかどうかも劇中ではっきり書かれていないので曖昧なんですが、例え助かったとしてもまったく少しも全然懲りていないように見えるのはどうしたものか。・・・私はせめて妹さんの命が助かっていることを願いますが、兄の弟罵倒っぷりをみていると、なんかこう・・・自信が。

 それでも弟は相変わらず「夢のような話」が大好きで、持ち歩いているノートにせっせとそんなキーワードをメモしては、しょっちゅう現実置き去りで空想の世界に足を突っ込みます。臆病だし頭も大してよくないし工夫という言葉とは無縁で、行動力も欠如。いやー、映画中で冒険する人物に対し、「私の方が絶対にマシだ」と確信したのは久々でした。
 まあそんな弟を結局のところ止められず、振り回されているんだか振り回しているんだかよく分からない、やっぱり頭があんまりいいとは思えない兄も同罪です。

 そのような彼らが、本当に不思議な事件に巻き込まれてしまいましたというのがストーリー。話の中には赤ずきんやガラスの靴など、グリム童話のモチーフが多々登場しますが、特に童話の話と直接結びつくようなエピソードは出てきません。アイテムだけがぽんっと置かれている状態です。ですからそういった多重構造の面白さを期待すると肩すかしを食います。
 弟だけがせっせとそういったモチーフを自分のノートにメモしているのです。・・・現実に目の前で起こっている事件ほっぽり出して。


 ・・・作家にはたまに、現実と虚構の区別が付かなくなっている人種が存在します。以前のところでは山田詠美さん、もっとも分かりやすい例だと柳美里さんでしょうか。
 山田詠美さんはデビューのころ、自らの以前の生活をモチーフとしたいわば私小説で、友人であった女性のあんまり公にはされたくない事情(男性関係など)までそのまま無断で書きました。そのことを、後で彼女当人から大変抗議されたものの、平然と抗弁してそのやりとりの一部始終すらさらに自分の小説の中にそのまま書いています。(参照「「ひざまずいて足をお舐め」)。

 なんというか、非常にまわりの人間にとってはとんでもない存在です。自分が小説のモデルだなんて一見すると素晴らしいことのように思えますが、自分という個人を勝手に解釈されて現実虚構のエピソード取り混ぜて書かれて、あんまり他人には踏み込まれたくない領域まで万人に暴露されて、しかも無断。・・・柳美里さんは確かそれで訴訟沙汰になっていたはずです(「石に泳ぐ魚」訴訟)。
 たぶん、彼女らにとっては現実も虚構も大した違いはないのでしょう。というか気にしない。彼彼女らの前にこの二つの間の壁は存在しない。世の中にはそういう人がいるのです。現実か虚構かなんて彼らにとってはどうでもいいのです。それはもう、そういう生まれつきなのです。
 ある意味生まれながらの作家とも言えますが、作家にでもなるしかない人物とも、でもやっぱり身近にいて欲しくはないよね、とも言えます。

 私はこの映画を観ながら、しみじみこのことを思い出していました。グリム弟はまさにこの人種。
 そのような人物を主人公にしてしまった時点で、冒険ものは冒険ものとしての快感を失います。だって、彼ら行動力ないし。頭もよくないし。そもそも冒険したいと思ってないし。いろいろあって追い詰められて本当にどうしようもなくなってすら、弟は自分のネタ帳ノートにメモする・・・というと聞こえはいいですが、要は(虚構の世界に)逃げ込むのをやめようとしないし。いやはや本当にどうしようもない。

 そのようなしみじみとした諦観の挙げ句、私は彼らが作家になった理由をしみじみ思い知ったのでした。というか誰かさっさと奴らに物語を書かせてくれ。どっか一箇所に閉じこめて本を書かせる以外のことをやらせるな、世のため人のためにとお願いしたくなったほどです。
 映画自体はコメディとしてもどこか中途半端で、「本当は何々な~童話」にありがちなダークさも中途半端なだけに却って気分が悪いというか、あと本筋となる話もどうこういいつつ大したことないのですが、それら全てが「なぜグリム兄弟は作家になったのか」の理由説明だと思うと納得できます。彼らはこのような中途半端で大したことない現実から、あのような素晴らしい童話群を作り出した天才作家だったのです。別名天災作家。


 分かりやすく作家な弟はさておき、兄のキャラクター付けや位置づけがちょっと不鮮明だったのですが、弟だけでは多分まったく話が前に進まないというかそもそも生きていけないであろうので、兄はああいう位置づけにならざるを得ないのだと思います。そしてどうこういいつつ、夢見ることをやめない弟を止めない兄だったからこそ、弟も作家になれたのでしょう。弟が天才なら、兄はその天才を理解してやれる類い希な片割れだったのです。・・・まあたぶん、本人は嫌だったと思いますけど。
 本当の天才というのは、常に理解者に恵まれないという不幸を抱えています。その巨大な才能、先進的な思想は、凡人には理解できないものなのです。(理解できない方が幸せ、というのも一面の真理です。)そして天才は少なくない頻度で、その孤独さゆえに潰れます。グリム弟には兄がいてくれて幸いでした。

 だからおまえはさっさと作家になって、どっか一箇所で人様の迷惑にならずに生きていけっ。・・・と思うのですが、多分無理なんでしょう。映画のグリム兄弟は旅を続け、行く先々で迷惑をかけ続け、そうして名作のネタをせっせと仕入れていったのでしょう。無意識で。現実と虚構の境を常に踏み越えながら。
 本当に作家とは、どうしようもない人種なのです。もちろんすべての作家がそうなのではありません。だけど本当に一部の作家は、どうしようもなくどうしようもない作家なのです。作家というのはその程度の人間なのです。「他に何にもなれないやつが作家になれ」と言ったのは誰だったか忘れましたが、とても正しいッ。

 ・・・ということを、思い知らせてくれた映画でした。

公式サイト:http://www.b-grimm.com/


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