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「崖の上のポニョ」:これが止め絵であったなら [映画]

 これが止め絵であったなら、さぞかし美しい絵本だっただろう。それが見終わっての感想だった。宮崎駿監督、スタジオジブリ制作の「崖の上のポニョ」である。この映画は小さな魚、ポニョが人間の少年と出会い、彼と同じ人間になりたいと願う物語だ。話の筋はとても単純なもので、ひねりはない。むしろ「どこかで見たような」、お約束の要素がたくさん散りばめられていて、童心をくすぐられる。絵も美しい。次々と盛り上がる波しぶき、緑の木々、透明度の高い海の中、悠々と泳ぐ古代の魚たち。

 ただ、何かが足りないとも思うのである。例えば大波が来る海沿いの道を疾走する車、小さな子供を乗せながらそれを選択する母親。そこにどうしても無理があると思ってしまう。映像としてはとてもスリリングかつ躍動感に満ちていて美しいとしても。

 この映画はそもそも、子供に向けて作られたものだという。だとすれば大人の心で見て、楽しめないのは当然なのかもしれない。だが大人の目で見て足りないものは、子供の目で見ても、やはり足りないのではないだろうか。誤魔化しきれない、といってもいいかもしれない。
 そして思うのだ。「これが止め絵であったなら」と。大波の中をくぐり抜ける車の絵。それは素直に誇張表現、あるいは美しい絵の表現として受け止められただろう。ポニョの父親や母親のデザインもまたしかり。我々はそこに欠けているものを、自らの想像力で埋めながら、一方で絵としての美しさを存分に楽しんだだろう。

 子供が読む絵本を目指して作られたものは、まさに絵本であった。ただし、決して動く絵本ではなかった。それもまた、宮崎駿監督の才気余るところなのかもしれない。彼は映画監督であって、絵本作家ではなかったのだ。それ以上でも以下でもなく。
 「ポニョ」はそれ知らせてくれた作品だった。でも、ポニョの可愛さ、宗介の純粋さ、母親の強さ、父親の弱さ、そういった要素は決して嘘ではないのだから。(798字)


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