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まとめ-共感による協力、広報の必要性:民主党「プラトン」記 [ブロガー懇談会関連]

 ざっと民主党シンクタンク「プラトン」設立記念シンポジウムの様子をまとめてきたわけですが、書いていて自分自身あの会場で考えていた事を追体験する事も出来ました。それで結局思いが行き着くところは、「素晴らしい、一方でこれで満足していていいのか」という二重構造のジレンマです。

 このシンポジウムにしても、これが「プラトン」の数あるシンポジウムの中の一つなら、充分だしむしろ大成功だったといえると思うのです。でも「設立記念シンポジウム」とうたっていて、この内容でいいのかっていうのは、ずっと疑問に思っていました。


 何かセレモニー的なことがあるのかな?と思っていたけれども、それもなかった。まあそこは質実剛健の民主党ということなのかもしれませんが、BigBangさんが閉会後の懇談会で松本政調会長におっしゃっていたように、外遊中の前原代表から生中継、もしくはビデオメッセージの形で何か一言あれば、それだけで場がぐっと引き締まったと思うのです。

 セレモニーにしても、あれは絵面としての価値があるわけで、ベタですがプラトンの理事のみなさんが壇上に上がって、応援ということで小沢さんや管さんのようなマスコミを呼べる人に一瞬でも来てもらって、みんなで気勢を上げるとかなんとかすれば、それが一枚の写真として新聞に載ったかもしれないのです。その横に「民主党シンクタンク発足」とかいう文章がつけば、それだけで国民に訴えるモノは全然違うわけです。
 このままでは、後発の自民党がシンクタンク発足の時に、何かちょっと派手なセレモニーをやってそれがマスコミに取り上げられれば、後発にもかかわらず自民党の方が「シンクタンクを発足させた」という強い印象を国民に残すことになりかねません(追記:自民党のシンクタンク発足式は11月21日にすでに行われていたそうです)。先日自民党の結党50周年記念大会がありましたが、あれがテレビでも大きく報じられたのは杉村議員という人寄せコンテンツ(失礼)を、自民党が上手く利用したからであって・・・。

 そのあたりがどーも、民主党さんを見ていて脇が甘いというか、心配になるというか、放っておけない何かがあるというか。私はなにやってるんだろうというか・・・。


 いやまったく。自分がこのシンポジウムのために費やした時間とお金、記事を書くために使った労力を考えると、懇談会でウーロン茶1杯とオレンジジュース2杯、とっても小さなおつまみ3コを口に入れただけではとても割りがありません。・・・まあ別にそれはいいのですけど。好きでやっていることですし。
 私はブログを個人と個人との出会いのツールだと思っています。だからヒット数にはそんなに興味がない。それよりも一人でも自分が書いた記事を読んでよかったと思ってもらえたら、それに勝る喜びはないわけで、前回の民主党ブロガー懇談会のレポートも、とある(全然関係のない)民主党前議員さんのブログで紹介してもらえてそれが嬉しくて、今回のレポートもその人が見てくれているかなあとか思うとそれだけで書けたというかなんというか。

 何の話でしたっけ。
 そうそう、今回のシンポジウムがが「設立記念シンポジウム」としての価値を見いだせなかった(まったくというわけじゃないですけど)という話なのですが、一番大きなものとして、民主党とシンクタンクとの関わり、またシンクタンク全体のビジョンが見えなかったという話があります。
 できればこれをまず最初にばーんと示し、「その一例として・・・」という形で地域主権の国づくりやコミュニティソリューションをアピールすれば、やはり訴えかけるモノというかメッセージ性は全然違ったと思います。松井孝治議員さんがシンポジウムの最後の最後に、プラトンにも民主党から政策責任者が入っていくことなどを述べておられましたが、あれは本来一番最初に言うべき事です。

 メッセージを発するということは、そこに明確な意志がなければなりません。ただ喋っていればそれがメッセージになるかというと、そんなことはない。今回のシンポジウムはとてもいい話なんだけど、いい話である事は前提として「ただ喋っているだけ」であった面は否定できないと思うのです。
 そしてただ喋っているだけでは、それに耳を傾ける人はたまたま近くを通りがかった人(今回でいえば会場に来た人)や、特別に耳をそばだてている人(例えば「民主党 プラトン」でグーグル検索するような人)であり、興味のない一般の人々にまでは届かないのです。でもそれではダメでしょう。明確な意志を持ってメッセージを発するということは、全ての国民に向かって声を発するということでもある。政治家がそれを忘れてはならないでしょう。

 民主党は、もしくは「プラトン」は今回のこのシンポジウムを催すことで、何を国民に向けて訴えたかったのか。霞ヶ関に替わる新しい政策立案集団の必要性? ならば一つ、実際に政策を立案してみせて、それが法案なり行政なりの形で現実化することを見せる必要があるでしょう。それこそ開会挨拶で仙谷議員や松本議員がおっしゃったように。まだ第1セッションで自治体の首長さんたちが語っていたように。
 メッセージを発するという事は、そのような戦略を持つということでもあります。今回はその戦略がとても見えにくかった。


 とはいえ今回のシンポジウムはあくまでシンクタンク「プラトン」のシンポジウムであり、民主党のイベントではなかったという見方もあるかもしれません。私はそのあたりがこのシンクタンク制度の最大のウィークポイントであり、誰かが気をつけて見張っておかなければならない部分だと思います。
 民主党とシンクタンクとのつながり、二つの異なる組織の接点。まー、どう考えても誰かが悪意を持って見た場合、ここを突こうとすることは間違いないでしょう。それは民主党シンクタンクの成果をさらおうとする他党であったり、シンクタンクの存在そのものが気に入らない(から「意味がない」として潰そうとする)人々であったり、ゴタゴタの話題が欲しいマスコミであったりするかもしれません。いくらでも「敵」は思い浮かびます。

 私はその防護策として、プラトンはプラトンで独自の広報組織を持つべきではないかと思い、それを質問の形で提案として出したのですがー(スルーされました)。
 もちろん民主党とシンクタンクのつながりを強固にして弱点をカバーするという方法もあります。でもそれはシンクタンクの自由性を縛ってしまうことにもなりますし、民主党さんもそれは求めてはいないようです。
 民主党とシンクタンクとのつながりを明確に、明文化するという方法もあります。開会の記事でちょっと書いたように、何を研究するかは民主党が提案するが、議論や結論に関してはまったく口を挟まないとか、分かりやすい形で示すことです。でもこれはこれで、政治的理由により難しいのかもしれません。(考えていくべき課題だと思いますが)。


 けれど今の路線、「プラトンはプラトンで、ある程度独立した組織として政策立案を行う」ならば、私はやはりプラトンは独自にしっかりとした事務局と広報部を持つべきと考えます。
 民主党と折衝を行い、またプラトン内部の個々の議案に関して、統合的に目を行き届かせる事務局の重要性は言うまでもないでしょう。とりあえず予算配分の問題とかあるわけですし。そのあたりは私などが口を挟まなくても、充分考えられていることだと思います。

 私があえて提案したいのは、しつこいようですが広報部です。どうしてシンクタンクに広報が必要なのかと言われそうですが、先述したようにどんないい議論を尽くしてもそれが「ただ喋っているだけ」では多くの人には届かないし、人を動かす力にはなりにくいのです。それではあまりに勿体ない。
 じゃあ民主党広報部にまかせればいいかというと、プラトンと民主党がある程度距離をおいた組織であることを前提とするならば、それでは情報が劣化してしまうと思います。ある案を持ったその当人が「私はこんないい案を持っています」とアピールするのと、別の人間が「私の友人はこんなにいい案を持っています」とアピールするのでは、微妙に性質が違います。

 また在野から広く知恵を求めるということでしたら、どこにどのような魅力的な案を持った人がいるのか、積極的に探っていかなくてはなりません。大切なのは情報です。「私はこういう案を持っています」という売り込みを受身で待つのではなく、「今プラトンはこういう人を求めています」と積極的に発信して人材発掘をするという手段もあると思います(というか必要だと思います)。そのための広報部です。
 ネットをやっているとつくづく感じますが、サイトなりブログなりの形で大勢の目に触れるように何か喋っていると、どこでなんの出会いがあるか分かりません。そりゃもう、普通では出会えないような人にいくらでも出会えますし、その出会いをきっかけに凄い話やプロジェクトが持ち上がっていくこともいくらでもあります。新しいネットワーク型社会では、そのような出会いの求め方、知恵の求め方もあると思うのです。

 それは実は、あまりお金のかからない知恵の求め方でもあります。コミュニティソリューションの項で散々言われましたが、「共感」を元にした「協力」は「低コスト高満足」を実現します。民主党はお金がないんですと常々言われ、また私も民主党本部に行ってみてしみじみ実感しましたが、まー、母体にお金がないならシンクタンクにもお金はないでしょう。そのようなシンクタンクがどのように新しい知恵を求めていくのか。私はその活路は、共感を獲得するための手段=広報にある、広報しかないとすら思っています。
 余談ですが、共感を元にした協力っていうのは、今回のブロガー枠の情報ボランティア(byBigBangさん)が動画をネット配信したり、専用ブログを立ち上げたり、こうして細かい記事を書いていたりするところにもあるわけで・・・。高満足かは知りませんが、低コストであることは間違いなく(0円ですからねッ)。


 もう一つ、話は戻りますが、広報というのは実は自分(シンクタンク)の身を守るための防衛策でもあります。単純な話、「私(シンクタンク)にはこれだけの価値があります」とアピールし続けなければ、予算も取れません。それはやっぱり広報です。この高度情報化社会において(すでにその言葉が古いですけど)、存在をアピールし続けなければ、その存在は情報の中に埋もれてないものとして扱われてしまうのです。
 また一方で、マスコミやその他に好き勝手書かれて印象づけられるという危険もあります。それ以前に、存在を省みられないところから心配した方がいいかもしれませんが・・・。最初に述べたように人寄せできるセレモニーを行ってアピールするとかですね、マスコミをこちら側から積極的に利用するという方法はいくらでもあると思うのです。

 さらに、霞ヶ関との差別化という部分において。霞ヶ関は広報を持っていません。当たり前ですが。それに対して、「自らも情報を発信し続けるシンクタンク」は、新しい政策集団の形として広く国民にアピールできる可能性があります。その結果、新しい人材や知恵がどんどん流入してくるという循環を期待するのです。


 うむ、結局また「提案」してしまった・・・。
 「素晴らしい、一方でこれで満足していていいのか」という二重構造のジレンマについて、グダグダと文句を述べてやろうとしたのに、なんで私は穴埋めのための自分なりの提案を一生懸命綴っているのか・・・。「共感」による「協力」おそるべし。
 ちなみに私は民主党さんにだけ提案しているわけではなく、自民党さんにも今後のブロガー懇談会のあり方について、懇談会レポートの最後で提案を行っていたことを、ここに記しておきたいと思います(参照記事)。

 まあ私のような素人の考える提案ですので、実現ということではあんまり価値がないかもしれませんが、一つの考え方や見方として聞いていただけると幸いです。

 閉会後の懇談会その他についても書けていない・・・。まあ、このまとめはいくつかの記事に渡ってぐだぐだ書いていく予定ですので、まずはこれで。
 しつこいようですが、「プラトン」には広報部が必要だ。これを繰り返して、この記事を終わりたいと思います。


 民主党「プラトン」記
 民主党シンポジウムに行きませんか? -人柱募集中-
 やっぱり微妙に珍獣でした:民主党「プラトン」記
 開会-シンクタンクはどこに位置するか?:民主党「プラトン」記
 第1セッション-国民を味方にするために:民主党「プラトン」記
 中間セッション-民間(地方)から中央へ:民主党「プラトン」記
 第2セッション-コミュニティソリューション:民主党「プラトン」記
 最終セッション-民主党の模索は続く:民主党「プラトン」記
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 まとめ-共感による協力、広報の必要性:民主党「プラトン」記


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