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「チャーリーとチョコレート工場」:子供の残酷、大人の忘却 [映画]

 子供の頃、「子供の心を忘れない大人になりたい」と思っていました。
 その後紆余曲折を経て、それが現実としていかに難しいことか、また本当にそれがいいことなのかについても悩むようになったわけですが、今回さらに混迷は深まったのです。率直に、この映画を観て、「どうしよう?」と不安になりました。

 映画自体はかなりスラップスティック(ドタバタ喜劇)で、黒い笑いが全編に散りばめられた、シュールレアリスティックな映像が楽しめる、B級映画です。ちなみに悪い意味のB級ではありません。・・・普通に考えて、これは出来のいいB級馬鹿映画として評価すべきなんじゃないかと、私は思うわけですが(微妙に自信がない)。
 途中かなりグロいというかエグい映像も多いので、そのあたりは注意が必要です。それがそのまま笑いどころに直結していたりするので、さらに悩みは深まります。「さて、笑うべきかどうしようか」。素直に笑っておけという気もするんですが、大人の良識が邪魔をするのです。「ここは大人として眉をひそめるべきところじゃないのか?」とか思ってしまうわけです。
 なまじこれの原作が児童文学と知っているのもよくなかったのかもしれません(なお、原作は未読です)。児童文学は大人になってから読み返すとアクがキツイというか、差別や偏見に満ちていて怖いというのが、今回よく分かりました。人種差別とかそういうのじゃないんですけど、ただ極端から極端に振れる、その振れ幅の大きさは一種の差別偏見といえるのではないかと。

 話の筋には勧善懲悪的な部分があります。悪い子供たちはその報いを受けますし、そいつがまた容赦なかったりするのです。「子供の頃ならこれに快感を感じていたのかな?」と、過去を振り返ってみましたが、もうすっかり覚えてはいませんでした。
 映像は刺激に満ちていてワクワクドキドキしますが、どう考えても生理的に「うわあ」な部分もあります。そこで「子供の頃ならこれ平気だったのかな?」と、また考えてみるのです。
 芋虫とか青虫とか今の私はあんまり近寄りたくないですが、子供の頃は目を輝かせてそいつらに青葉を与え、サナギになって蝶になるのを見守っていたりもしました。ハリーポッターなどでも、カエルチョコレートや百味ビーンズなど、「そいつは気持ち悪いんじゃないか?」というギミックがたくさん出てきますが、子供の視点で見てあれが気持ち悪いに分類されるのか、ワクワクに分類されるのかは、今となっては正直よく分かりません。もう分からない年齢になってしまいました。

 私に子供がいたら、どんな態度でこの映画を観るのか興味津々で観察します。・・・いや本当に自分の子供だったら、教育的視点が入ってしまって、そんな楽しむどころじゃないのかもしれません。
 まったく、「子供の心を忘れない大人」というのは難しいものです。いっそのこと割りきって、完全な大人としてこの映画を、ブラックな笑いに満ちた風刺として観ればよかったのかもしれませんけど。


 この映画の登場人物は、基本的に子供ばかりです。主人公であるチャーリー少年と、他にチョコレート工場に招待された4人の子供は言うのみならず、彼らの保護者達も「子供が考える大人」像に近く、そういう点では子供と言えます。チョコレート工場の主であり天才発明家にしてマジシャン、ジョニー・デップが演じたウィリー・ウォンカはいうまでもなく子供でしょう。彼がいかに子供じみているかは、映画の中でも散々語られます。
 主人公チャーリー少年の保護者達も、やっぱり「子供から見た大人」という視点が貫かれています。ああ、子供の世界ってこんなにも原色に満ちあふれていて、極端で、滑稽でありながらもの悲しく、残酷でありながら華やかなのだなと、しみじみしました。

 それは決して否定されるべきものではないと思います。ここにも確かに人間世界の真実があるのです。そしてまた、勧善懲悪だって決して否定されるべきことではないのです。ただ悪いことに悪いと言える、悪者が報いを受けて溜飲を下げる、そのことの貴重さと残酷さを私はしみじみ思うのです。
 原作を読んでいないので先のストーリーはまったく分からず、観ながらウィリー・ウォンカってとんでもない残酷なヤツだなと正直ちょっと怖かったのですが、最後までいって納得しました。
 ああつまりこれは子供の世界の物語だったのだと。同時にそのころには彼が作り出す原色の世界に対して、また奇想天外なギミックに対して、愛情ともいえる親しみを感じていた事も確かです。私の中にまだ残っていた子供の部分は、彼のチョコレート工場やエレベーターの仕掛けにワクワクドキドキしました。ミュージカル(歌)の部分も、サントラ買って聞こうかなという気にもなりました。
 しかしどうにもこうにも、大人になった今ではこれは毒が強すぎるのです。

 私が生きている世界はこれほど原色の世界ではなく、むしろくすんだ淡色の世界で、ワクワクドキドキは非常に少ないし、楽しいことは待っていても向こうから視界に飛び込んでくるというよりは、自分で積極的に探しに行かなくてはならないし、完全な善もないかわりに完全な悪もいませんが、ひたすらに穏やかな幸せがあります。そしてなによりもそれは、他者に与えられるものではなく、自分が築いて守る世界です。
 子供の頃から比べて、色々なことを忘れてしまいました。かわりにいくつかの妥協を手に入れました。そのことを後悔はしませんが、「子供の心を忘れない大人」ではありたいなとは今でも思います。もしかしたら、もうとっくに忘れてしまっているとしても。

 この映画は確かに子供の頃のドキドキを思い出させてくれました。同時にそれは苦いものでした。けれども私はその苦みも受けとめたいと思います。そしてチョコレートのように、苦いだけではなく確かに甘いのだと、むしろくどすぎるくらいに甘いのだと、そいつも忘れないようにしたいのです。子供の世界っていうのは、甘ったるいものなのです。

 子供は甘くて残酷な存在です。だけども大人だって、忘却という名の残酷を子供たちに対して行っています。二つの世界は平行線で、基本的にあんまり交わりません。・・・交わらない方がいいです、お互いのために。でも時々は、二つの世界をつなぐ不思議な糸が結ばれます。
 この「チャーリーとチョコレート工場」という映画は、そういう不思議な場所に位置した作品です。

公式サイト:http://www.charlie-chocolate.jp/


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