帰還しました:「各党討論会」感想・前記 [ブロガー懇談会関連]
というわけで飛び入りで行ってきた自民党主催の「各党政策討論会」。当初の予定では自由民主党、民主党、公明党、共産党、社民党、国民新党、新党日本の7党が参加ということでしたが、このうち国民新党は東京都に立候補者を立てていないため、不参加ということになったそうです。なんだか法律的に色々と難しい制約の中で、今回の討論会は成立したようでした。
まず出席者だけ報告しておきますが、自民党からは林芳正参議院議員、小林豊参議院議員、世耕弘成参議院議員、公明党からは山口那津男参議院議員、澤雄二参議院議員、民主党からは枝野幸男衆議院議員、前原誠司衆議院議員、福山哲郎参議院議員、共産党からは小池晃参議院議員、社民党からは阿部知子衆議院議員、新党日本からは荒井広幸参議院議員が出席なさっていました。
えーと、これは私がメモしたお名前ですので、出来ればマスコミなどで確認したほうがいいかと思います(私も後日検証します)。
総じて想像していたよりも贅沢な出席者でした。偉そうな言い方を許していただければ。
さて、その討論会ですが、非常に面白かったです。やっぱりナマでみる迫力は違いました。
出発前に書いたとおり、私は今朝は四時起きであり、非常に眠かったわけであり、片道4時間近くかけてのこのこと兵庫の田舎から東京まで出向いたのです。しかも「各党政策討論会」といっても実際の所そんなに目新しい情報や、おおすごーというような話は聞けないんだろうなと思っていました。私にとっても今回の試みは参加することに意義があるというか、主題以外の所に目的(下心)があったというか、つまるところ下手したら討論会自体は最中に居眠りするんじゃないかとすら、危惧していたのです。
だけど、別に目新しい情報やおおすごーという話はなーんにもなかったにも関わらず、むしろ「なんだネットで掴んでいる感じで案外合っているじゃん」とか思ってしまったにも関わらず、ちゃんと面白い大学の講義を聴く時くらいの熱心さでノートを取っていました。行ってよかったです。
・・・でも終わってから、永田町のベンチに座ってとても落ち込んだのです。ブログのジャーナリズムについて、とても深く考え込んでしまいました。
討論会の話自体には全然問題なくついていけたんです。「リバースモゲージ」や「アメリカのトランスフォーメーション」といった横文字も飛び交っていましたが、それらの意味についてもクローズアップ現代やその他のニュース、ドキュメンタリー番組で全て知っていることでした。行われた討論についても、これは(討論として)成立しているだとか、これは誤魔化しているだとか、総じて大学で教育されたディベートよりも正規の意味においてはレベルが低かったですから、分かったんです。
だけども、分からない。
討論の途中では時々ヤジが飛んでいました。最初は民主党側から積極的に仕掛けていましたけど、そのうち自民党側も負けずにやり返していました。片方からのヤジのワンスローで終わったこともありましたし、互いに応酬になったこともありました。ヤジの繰り返しで最後には「drftgyb○×?」的にワケ分からなくなっている場合もありました。
・・・ヤジが飛ぶのはどういう場合なんでしょうか。誤魔化したい時? 追求したい時? どういう時にはヤジをやり返して、どういう時にはスルーで終わらせるんでしょうか。収集つかなくなるまで紛糾したのは何故でしょうか。そこの部分が大切だったからでしょうか。それともそこまで深い意味はないんでしょうか。単にその場合はそうなっただけ(気分的に盛り上がっただけ)なんでしょうか。
ヤジっていうのは様式美だなっていう感触は受けたんですね。だけどもそれがどのような価値観、基準において用いられているかが分からない。
討論が成立した時、成立しない時も同じです。総じて政治家の討論(ディベート)というものは、正規的ではないな、本当に純粋に見ればレベルは低いなとは思いました。だけどもそれは政治家さんたちのスキルが足りていないからではないと思います。・・・いえ、スキルが足りていない部分もあるなとは感じました。けれどもある場面では驚くほどすっきりと反論が成立していましたし、多くの場合は反論も誤魔化しで終わっていましたけれども、それはそれでまた「様式美」です、互いの暗黙の合意に基づいて、何らかの形に沿った上でのコミュニケーションは成立している。そう感じました。でもそのコミュニケーションが意味するものは? それが分からない。
またこれは、今回一番見られてよかったなと思った一場面でしたが、討論会が終わった途端、あれだけ激しくやり合っていた議員さん達が笑顔で集まって握手し、「いやー、今回はどうも」と何気ない世間話をかわし、社交をしている、その場面を見ました。花岡さんのブログですでに政治家とはそういうものだという話を読んでいましたが、実際目の当たりにしてみるとこれは面白かったです。
じゃあ実は本当は仲がいいのかというと、それとはまた別だと思ったのです。大部分において社交辞令であり、またしても様式美、そういうことをすると決まっている習慣があるんだなと感じたのです。でも実際に仲がいい部分もあるはずです。まったくの上っ面だけだとも思わなかった。彼らはただ対立するだけの間柄ではない。でもその線引きをどの程度に見積もればいいのか・・・これが分からない。
こうして書いてみると本当に、実際にその場に行ってみないと分からないことっていうのは、驚くほどたくさんあるのです。そして私が悔しかったのは、記者さん達はそれが分かっているということでした。
皆さん退屈そうでした。「大した情報は出ないんだろうけど、一応ね」という態度が始まる前からにじみ出ていましたし、最中においても退屈しているなー、ある意味においてイラついているなーっていう空気は肌で感じました。だけどもみなさんきちんとノートを取って議論自体は追っている。片手間でも彼らは話を追えるし、完璧に近く理解することもできるのです。
ああ、これは勝負にならないと思いました。プロの壁っていうのを厚く感じました。
ブログ/メルマガ作者を呼ぶ第二回に、このような場を選び、プロの記者とまったく同じ土俵に立たせた世耕議員はある意味において意地悪だと思います。いえこれには悪意や他意はまったくありません。またご本人も、実際それほど深く考えておられるわけではない気がします。
けれども、これは何げにブログの真価が問われているぞと感じたのです。ブログのジャーナリズムっていうのは何か、正面切って問いかけられ、また比較の土俵に乗せられている、乗せられかねない、そう感じたのです。
私は深く考え込みました。このような場においてブログでしか出来ない取材ってなんだろうと。私自身はもっと分かりたいと感じたのは確かです。ジャーナリストとしてのスキルを磨きたいと思ったのです。だけど、それって突き詰めれば新聞やテレビとどう違うの?ってことになります。企業にしばられていない自由な個人って属性を考えるにせよ、それならそれでまず雇われジャーナリストとして修行を積み、技術や人脈を身に付けてからフリーに転向すればいいだけの話です。
でもブログのジャーナリズムっていうのはそういうものじゃないだろう、と。誰にでも出来る、誰にでも書ける、誰にでもチャンスがある、そしてどんな初心者でも書いていい。それがブログってものだろうと。
・・・ブログの価値というのは何なのでしょうか。こういう場において、ブログ作者がいることの意味、彼らが書くものの価値とはどこにあるのでしょうか。私は深く考えました。
またもう一つ。実際に自分が今回のレポートをまとめるという実際的な問題もあります。詳しいノートを取りましたから、それなりに詳細なレポートも書くことが出来ます。・・・でもそれが求められているの?となると、考え込んでしまうのです。
読む側の多くの方はそれほど政治の知識もなければ、それ以前に興味もないでしょう。だけど一つだけ確かなのは、私はそういう人達にも政治って面白いものだと伝えたい。興味を持って欲しい。そういう記事を書きたいのです。
その場合、詳細に書くことがいいのか、分かりやすく勝手にカットしてまとめあげることがいいのか。自分の意見や視点というのはどこまで盛り込むべきか。公平中立かつ中性的な視点と、私ならでは自分ならではの視点、どっちを選ぶべきか。
いくらでも考えることは出てきました。ベンチに座って1時間くらいは暗い顔して考え込んでいたと思います。・・・おかげでキャッチセールスのお兄さんに声かけられましたよ。うむ、東京というのは恐ろしいところですよ。昼間の永田町(あちこちに機動隊の車が止まり、警察官が立っている)でキャッチセールスかよと、今思えばそのプロ根性に感心もするのですが、とりあえず面倒くさかったので「人を待っているんです」と嘘付きました。で、お兄さんはあっさり引き下がりました。
・・・何の話でしたっけ。
ああそういうわけで落ち込んだんです。私は東京で時間が出来ると美術館や博物館に行くことにしているのですが、今これでそういう静かなところに行くと余計落ち込むぞと感じました。そして関西人として、「これでは元が取れないッ」という深刻なものも感じていました。
そこで、私は面識をいただき今回のことにも声をかけていただいたとあるフリージャーナリストの方に、会場でご挨拶させてもらった時に「後でまた」と一言言われていたのをいいことに、いけずーずーしく電話をかけたのです。で、「お時間いつでもいいですから、お話ししていただけませんか」と。
そしてその方にお会いして、ホテルのティーラウンジで1時間半くらいだったかな、お話させていただきました。
なんか大部分、私が今回の討論会についてぶつぶつと雑感を話し、相手がうんうんとうなずいて下さる、そんなやり取りだった気がします。で、時々「・・・かな?と思ったんですけど、どうなんでしょう?」と聞いては、「それはね」と短く的確な一言をもらう、そんな場でした。
なんかもう、大先輩を掴まえて、私は何をやっていたんでしょう。今思い出すと頭を抱えてそのまま地面に埋まって上から土かけて墓標は立てなくていいからッ、そーゆー感じです。あれは愚痴でした。愚痴を聞いていただいたんです。うあ"ー。すいませんー。
しかしおかげでいくらか考えがまとまったのも確かです。上記の悩みについても、いくばくかの答えは出ました。それを形にすることは、明日以降正規のレポートとしてあげさせてもらいたいと思います。まー、明日は多分撃沈していると思うので、気長に待って下さいませ。
これだけ前振りしておいて肝心の答えは先延ばしかというのも、はい、そうです。すいません。(追記:答えについても書きました。後記をご覧下さい)
本当に相手様には感謝です。今回は他にも「せっかくなので一言ご挨拶したい」と幾人かの方にメールして、実際に面識を得ました。そもそも潜り込ませてもらったことといい、本当に「言ってみるものだな」と思います。これもまた、ブログの可能性でしょうか。
皆様に感謝します。私のようなものに親切にしていただきまして、本当にありがとうございました。おかげで得るものの多い旅となりました。
では、とりあえず帰ってきての今の気持ち、概観など。今でしか書けないこともあると思いますので、まとまっていませんし、大部分において感情的ではありますが、とりあえずのご報告です。
レポート書き頑張りますー。その前に受験用の宿題もやらないといけないけどなー。うあ"ー。
「各党討論会」感想シリーズ
明日の「各党政策討論会」:えーと、行ってきます
帰還しました:「各党討論会」感想・前記
勢いだけで東京に行く:「各党討論会」感想・会場に着くまで
・大政党の洗練度と小政党の悲哀:「各党討論会」感想・各党の主張
・ヤジと個性と衆参と:「各党討論会」感想・各党議員さんの印象
・ザ・直接対決:「各党討論会」感想・自民vs民主の討論
・交差する思惑:「各党討論会」感想・自民民主以外の討論
種をまく―ブログの可能性について:「各党討論会」感想・後記