SSブログ

「容疑者 室井慎次」:信念を持つことの危険性 [映画]

 踊る大捜査線シリーズのこの映画。本編とはうって変わってシリアスな陰謀劇になっていました。しかしこれはこれで大変に面白かったのです。
 監督・脚本は君塚良一さん。「交渉人 真下正義」の本広克行監督と対比させると、全体を覆うトーンは「光」に対する「闇」のようで、それも面白いです。

 きちんと刑事ドラマ(ミステリ)として一つの事件の犯人探しという軸も通しつつ、あの室井さんが逮捕されるという衝撃、そこに関わってくる原告被告双方のそれぞれ事情を抱えた個性的な弁護士たち、警察庁・警視庁・検察庁それぞれ上層部の暗闘、室井さん個人への好意から動き出す様々な人々。
 実に多様な事情が織り込まれつつ、画面は美しい品を保って構成され、複雑な話ではあるけれどもそれなりにきちんと説明されてわかりやすく話は進み、最後のオチだけはちょっと唐突感はあるものの、実際の所解決っていうのはそういうもんだろうなと思う部分もあり、総じて大変に完成度が高く面白い映画でした。
 一方で、これって「将軍の娘」などに代表されるハリウッドのサスペンス(陰謀劇)みたいじゃないかと思って、その点でもとても嬉しかったです。「亡国のイージス」などとも合わせ、日本もこんな映画撮れるレベルまできたんだな、と。もちろんまだまだ本家には遠く及びませんが、背中が見えるところまで来たのも確かです。


 ところで私がこの映画から感じたことは、信念を持つことの危険性でした。あるいは価値観を一つに絞ることの危険性、何か一つ一番大切なものを持つことの危険性と言い換えても構いません。

 この映画では様々な人々が、様々な「自分にとって一番大切なもの」を提示します。それは正義であったり、真実であったり、勇気であったり、自分自身であったり、金銭であったりします。美しいものばかりではありませんが、どの気持ちもよく分かるし、心に迫ってもきます。ただ一方で、ああだからこそ彼らは挫折するし弱くもなるのだとも分かるのです。
 終盤になってヒール(悪役)の一人がようやく自分にとって一番大切なものを吐露するシーンなど、これまで得体の知れない不気味な存在であった彼が、急に矮小なものに収束していく、その明らかさに「ああ」と溜息をつきました。

 一方で信念など何も持たない、ただ出世に明け暮れるだけの人々、あるいはもう信念も何もかも超越してしまって、ただぼんやりと余生を過ごすだけの人の強さ。彼らは決して負けないのだろうな、何故なら元々何もないからとも思い、そのことにも息を吐きます。しかしそれは決して失望ではありません。そういう人こそが実際の所この事件の落としどころを付けることが出来たのも事実です。信念や正義で突き進むだけでは、結局生か死かという破局に行き着くしかないのです。

 では信念を持ってはいけないのかと問われると、なんとも言えないというのが正直なところです。・・・私には信念がありますが、普段はそれを決して表には出しません。何故ならそれが最大の自分の弱点でもあるということも、知っているからです。
 室井慎次という人はまだそのことを知りません。彼は自分の信念に忠実でありすぎ、またそれを明らかにすることを恐れない。つまりは正直すぎるのです。「現場」はともかく、彼が生きる世界では、これは致命傷にもなりかねません。私は室井さんが真に組織を変えるために出世したいと願うならば、信念を隠すことは最低でも覚えなくてはならないと思います。

 そして思い出すのです。「やりたいことをやるためには偉くなれ」という、今はもう亡くなってしまった俳優さんが演じた人の言っていたことを。あれは言い換えれば、信念を保ち続けたいなら、それを妥協することも覚えろという苦い言葉ではなかったかと。

 信念は痛みを伴います。それを恐れない人にだけ、成果は微笑みます。けれども、それでも、何か大切なものを持つということは、危険なことなのです。自分一人だけではなく、周囲すら破滅させかねないほどに。
 それでもきっと彼は胸を張り、黒いコートを翻してただまっすぐに歩いていくのでしょうけれども。

公式サイト:http://www.odoru-legend.com/


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。