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「長いお別れ」:自分がバカであることを知る [小説]

 まず最初に言っておきたいのですが、この「自分」というのは私のことではありません。この作品の主人公、フィリップ・マーロウのことです。それだけは何をさておいても、最初に強く申し上げておきたい。それでもって、最後まで忘れないように。

 では、話を進めます。
 私はこの本をhyperbomberさんに薦めていただきました。どのような本であるのかは、まずこの元記事をご覧下さい。端的にして味わい深い紹介がなされています。私には出来ないものです。その理由の一つは、もっぱら私の性別にあります。まあ、それについても追々説明していこうと思いますが。

 この物語は探偵フィリップ・マーロウがテリー・レノックスという男性と出会い、何故か彼のことを好きになり、友情を感じるようになってちょっとばかりの手助けをしてやり、やがて彼を失うのですが、死にゆく彼から「忘れてくれ」と言われていたにも関わらず、どうしても忘れ去ることが出来なかった。そしてまた新たなる事件へと巻き込まれていき、マーロウ自身も引くということをしなかった結果、最後の真実へと辿り着く。そういう物語です。

 ・・・ああ、この時点でダメですね。どうにもメランコリックになりすぎている。それはひとえに私が女であるからです。これは男の友情の物語なんですよ。
 男の友情、これほど女にとって語るのが難しいものもない。まあ、理解することは出来るのです。しかし真に理解することは、つまりそれを自分のものとして、自分の言葉で語ることはかなり不可能に近い。それはつまりは私が女であるからです。ああ、情けない。
 そのことを恥じたりはしませんが、ちょっとばっかり悔しいことは否定しません。

 hyperbomberさんも書いておられますが、作者のレイモンド・チャンドラーの言葉はどれもこれもが美しく、素敵なものです。心地よく酔わせてくれる酒のようであり、しかし決して悪酔いはしない範囲で留まっている、得難いアルコール分です。
 例えば私が最初に好きになったセリフを一つ紹介しましょう。19ページ6行目、「ぼくのいう自尊心はちがうんだ。ほかに何も持っていない人間の自尊心なんだ。気をわるくしたのならあやまるよ」。
 マーロウが友人としたテリー・レノックスの言葉です。私もこの一言で、彼という人間が好きになりました。自分の自尊心を語りながら、それも「ほかに何も持っていない」とまでいう自尊心を語りながら、素直に謝ることが出来る人間はあまり多くはありません。どういうわけか、不思議なことなのですが。
 子供の頃を思い出せば分かるんですが、謝る勇気っていうのはそもそも自尊心から湧いてくるものだと思うのです。人は自分に対してプライドを感じるからこそ、自分の非を認めて謝ることが出来る。それなのに何故か人間というものは、そのうちそんな基本的なことすら忘れてしまうのです。
 どういうわけか、まったく不思議なことです。そして不思議であるだけに、このセリフは私の心の間隙を突きました。いやはや一言で心奪われるとはこのことです。

 ですから私も、私なりに、テリー・レノックスに友情を感じていました。本の向こう側から。だから最後まで読み終わった時、私はもう一度本を逆にめくり、最初に戻って彼の最後の手紙を読みました。そうやって私も彼にお別れをしたのです。本当に、長いお別れでした。

 後味は苦く、だけども決して悪酔いはしない酒なのです、この本は。
 苦い酒というのはたくさんあります。私はそういうものも好きです。苦みを口の中で転がすうち、それはやがて甘みへと変わっていきます。その瞬間が、瞬間というには少しばかり長い過程が、私は好きです。
 ・・・私にとってこの本の読後感というのは、そういうものでした。それは私が女だから、ではないといいのですけど・・・。どうかな。


 いやしかし、男っていうのはバカですね。私なら友達があんな死に方をしても、ああいうこだわり方はしませんよ。いや、こだわるのはこだわりますよ。でもあんな解決の求め方はしない。フィリップ・マーロウっていうのはまったく、ニュートラルな意味で男らしい男です。いわゆる男らしさを持っているかどうか、それはここでは問題ではありません。ただ彼は、絶対に男しかしない生き方をしている。それだけは確かなのです。

 だから、私ならああいうやり方はしない。じゃあどんな解決方法を取るんだ?、どうやって友情を感じていた人間の死の真相を探求するんだ?と聞かれると・・・まあ、それは、とてもここには書けないとだけ、お答えしましょう。・・・えげつないからな。とても気軽には話せません。知りたかったら、この本を読んでください。この本の中には印象深い女性が二人ほど登場しますが、そのうち一人のやり方こそ、私が考える「スマートな解決方法」です。つまり、ああやってギムレットを頼むということです。
 この本の凄いところは、男というものの本質をしっかり書ききっていながら、実は女というものの本質もちゃっかり書いていることなんですよね。

 でもあくまでも、男の引き立て役として。だけど踏み台にされているということではないのです。作者のチャンドラーはきちんと女性にも敬意を払っています、払った上で徹底的に男というものを書いているのです。憎らしいほど見事にとはこういうことです。
 まあこういう男になら、利用されてやってもいいかなと、女である私は思うわけです。


 ああ、それから。私はバカな男というものは好きですよ。でも単にバカなだけではダメです。自分がバカであることを知り、そしてそれを静かに見つめることが出来る男、私はそういう人が好きです。男性女性に限らずそういう人が好きなんですが、率直に言って男性ほどこれは難しい、特に「静かに見つめる」ってところがと思っておりますので。
 フィリップ・マーロウはまさにこの命題に叶う男性でした。だから私は、彼のことも好きです。テリー・レノックスだけではなく、彼の友達にもなりたいなと思いました。できることなら。

 でも残念ながら、それは無理なんです。なぜなら私は、女であるので。

長いお別れ

長いお別れ

  • 作者: 清水 俊二, レイモンド・チャンドラー
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1976/04
  • メディア: 文庫

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