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「ドラキュラ紀元」:マニアックとはこういうことだ [小説]

 二次創作という分野があります。一つの偉大な創作があって、それに触発された人々がオリジナルだけでは満足できなくなって、さらに何か付け足そうと、あるいは「もしもこうだっら?」と考えて書いていく作品群。一次創作ではないという点だけで志が低いとも考えられがちで、あまり評価を受けることは少ないように思われますが、私はこれはこれで一つのパッション(情熱)だと考え、尊重しています。まあ確かに志が高いとは言い難いものも多く存在するのですけど、きちんと自分の作品として昇華しているものもあるのだと、信じています。

 さて、キム・ニューマンのこの小説は、偉大なるブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」へのオマージュです。「もしも、ヴァン・ヘルシングがドラキュラに敗れていたら?」。これはそういうifを形にした作品です。そしてまた、二次創作を越えて、自らの創作世界へと物語を昇華させている作品でもあります。
 この小説世界において、ヴァン・ヘルシングはドラキュラとの戦いに敗れて首を晒され、ドラキュラ公はヴィクトリア女王と結婚してプリンス・コンソートとなり、実質的な英国の王となっています。当然のごとく、人々の多くは吸血鬼の口付けを受け、吸血鬼としての新たな生を選ぶことにしました。一方では根強く、人としての生にこだわる人々もいます。
 新たに闇の口付けを受けた新生者(ニューボーン)と呼ばれる新米吸血鬼たちは、まだ生まれ変わって間もないだけに、日の光に弱かったり銀に触れなかったり吸血鬼の数多くの弱点に苦しめられています。呪われしドラキュラ公の血筋には何か毒でも混じっていたのか、上手く転生出来ずに苦しんでいる人々もいます。ともあれ、それでも彼らは永遠の命を手に入れたのです。
 よって世界は劇的に変わりつつあります。街からは銀が追放され、人々は吸血鬼に転化するか人として肩身狭く生き続けるかの選択をせまられ、また統治者ドラキュラ公に従うかどうか、新たなる秩序(あるいは混沌)を受け入れるかどうかの選択もせまられています。

 ヴァン・ヘルシングは死にましたが、彼の仲間たち、ジャック・セワード、アーサー・ホルムウッド、ウィルヘルミナ・ハーカーはまだ生きています。人として・・・あるいは、新生者として。
 またこの時代、ヴィクトリア朝のイギリスには他にも興味深い人間達が沢山いました。例えばシャーロック・ホームズ、それから彼の仇敵モリアティ教授、そして兄のマイクロフト・ホームズ。シャーロック・ホームズは出てきませんが(行方不明になっている)、他の二人はこの小説にも登場します。それも印象深い登場人物として。
 それから、切り裂きジャック。これはこの物語の主軸となる事件です。

 申し遅れましたがこの作品の主人公は、チャールズ・ボウルガードというイギリス政府の秘密機関ディオゲネス・クラブに所属する諜報員。ドラキュラ公がイギリスを征服する以前から、国のために国内外で働いてきましたし、今でもそうです。それはつまり、ドラキュラから一定距離を置いた場所でイギリスのために働く、という意味ですが。
 その彼が、やはりドラキュラ以前から吸血鬼であったジュヌヴィエーヴ・デュドネという外見年齢16歳、実際年齢400歳の長生者(エルダー)の少女と共に、切り裂きジャック事件を追うというのが、この本の中心となる出来事。
 でも物語の本当の主人公は、ヴィクトリア朝のイギリスそのものでしょう。深い霧の立ちこめる、未だ女性達は長いスカートをはいて家庭と社交の世界にこもり、一部では社会に出ようとする新しい女性達も生まれ、男たちもまた、古き紳士たちは徐々に姿を消し、新しい経営者たちが台頭してくる変革の時代。

 それを背景として、この本には他にも実際の人物から他の本で創作された人物たちまで、虚実おりまぜて実に多くの「実在した」人物たちが登場します。ドラキュラ以外の有名な吸血鬼たちも出てきますし、ジキル博士(「ジキルとハイド」)なんてのも。
 はっきり言ってしまえば、キム・ニューマンが創作したのは、主人公のボウルガードとジュヌヴィエーヴの周囲だけといっても過言ではないくらいです。他は恐ろしいまでに「借り物」ばっかりです。・・・でもそれが、実に魅力的なんですよねえ。「ええっ、あの人が吸血鬼にっ」というのから、「あー、この人はまだ人間なのね」というのまで。これはシリーズ通しての魅力です。
 一般的な日本人には馴染みのない名前も多いのですが、訳者の梶元靖子さんが巻末に詳細な人物辞典を付けて下さっています。出典が分からない場合は原作者のキム・ニューマンに直接手紙を出してまで聞いたそうです。このシリーズは三冊出ていますが、その全てにです。後にいくほど人物辞典の内容は濃くなっていくところがさらにすごい。三冊目など、実に59ページ。すさまじい愛と情熱のなせるわざだと思います。私はこの訳者の方にも、大いなる敬意を捧げます。


 第一作「ドラキュラ紀元」はこのような舞台設定ですが、第二作「ドラキュラ戦記」ではうって変わって第1次世界大戦が舞台となります。一作目が古き良きミステリ調であったのに対し、二作目はもろに戦記物。なんと吸血鬼vs飛行機乗りの空中戦なんてのも展開されます。そしてやっぱり、その時代の多くの有名人達が、吸血鬼としてあるいは人間として「借り出されて」くるのです。
 
 第三作「ドラキュラ崩御」はまたさらに雰囲気が変わります。舞台は1959年、退廃の香り漂うイタリアはローマを舞台として、フェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」から出てきた記者マルチェロ、さらにはヘイミッシュ・ボンドというどこかで聞いたような名前の男まで(ヘイミッシュはジェイムズのスコットランド読み)。ドラキュラ公はここでまた新たな結婚生活を始めようとしています。しかし彼は一向に表舞台に姿を見せず、ただ無数の影と思惑、そして死体が転がる。
 第一作が古典的ミステリなら、これは現代ミステリというべきでしょうか。1959年が現代かというのはさておいても、古典の反意語としての当世風ミステリが語られます。

 よくもまあ、毎回これだけ作風を変えてこられるなと感心するほどです。そして、よくもこれだけ毎回毎回、あちらこちらからその時代の有名人達を持ってくるなと。
 作者のキム・ニューマンはヲタクですね。日本に生まれていたら紛れもなくヲタク認定を受けられた人間でしょう。ヲタク以外の誰が、こんな偏執的二次創作作品を生み出せるものか。
 大体、彼の創り出したキャラクター、ボウルガードのニュートラル性(魅力的ではあるのだけど妙に影は薄い)に対して、美しく飾られた永遠に16歳の少女ジュヌヴィエーヴ・デュドネの描写の多さ。ニューマンは別名義で彼女を主人公にした小説群も書いているそうなんですが、これはまさにヲタクの想像する理想の女性像そのものです。言っちゃあなんですが。
 あとそれから、ボウルガードの周囲には第一作から他に二人の重要な女性が登場します。一人は活動的な女性記者でショートカットでそばかすのメガネ娘。彼女なりに充分可愛らしい女の子なんですが、自分は魅力的でないと何故か思い込んでいます。もう一人は年上の色気たっぷりお姉様タイプ。誰もが認める美人であり他にも様々に恵まれた立場にいるのですが、本人はそのことに飽いており、また一番欲しいものはいつも手に入らないというジレンマと孤独を抱えています。・・・なんというか、「萌え」というものをよく理解した人間が創造したとしか思えないヒロイン達です。
 彼女たちはそれぞれ、第二作、第三作で主要な役割を演じます。

 ・・・怪しい。怪しすぎる。とはいえ、それに固執するのは単に私もヲタクであるからであって、この作品自体はそんな小さな世界は越えた凄さを持っている大作なんですけどね。分厚いし。
 PJ監督の「ロード・オブ・ザ・リング」や、ウォシャウスキー兄弟の「マトリックス」のように。といったら、言い過ぎでしょうか。でもマトリックスとは本当に共通するものがあると思います。借り物が多いという部分もそうだし、それを越えて新しい世界を提示して見せているという部分もそう。
 ヲタク、恐るべし(結局それか)。


 なんでもよろしいのですが、私はこれの第二作「ドラキュラ戦記」を大学で講義の合間の時間に読もうと持っていって、大教室の机の中に忘れてきたという苦い思い出があります。文庫本ですけど翻訳だし分厚いしで、一冊千円越えているんですよ。それをー。恥を忍んで遺失物課にも届けを出しましたが、結局見つかりませんでした。とほほー。私は二作目が一番好きなのにー。
 というわけで、涙をのんで買い直しました。いろんな意味で忘れがたい本です。願わくば私が忘れてきたあの本も、誰かいい人に拾われていますように。掃除のおじさんにゴミ扱いでポイされていたら、泣くぞ。
 ・・・本当にどうでもいいことで、失礼しました。

 それくらい、私にとっては宝物ですということを言いたかったのです。いやー、あの時、本屋で平積みされている赤い本達に妙に惹き付けられ、一冊千円以上するのに(しつこい)、勇気を出して買って良かった。
 というわけで、いつもながらあなたもお一ついかがでしょうか。いつもながら絶版になりつつあるので、手に入れるなら今です。古本でも新本でも! 吸血鬼マニアなら、これは買いです。

ドラキュラ紀元

ドラキュラ紀元

  • 作者: キム ニューマン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1995/06
  • メディア: 文庫
 

ドラキュラ戦記 ドラキュラ崩御


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