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「蒼天航路」:曹操が羨ましかった男 [漫画]

 「真・三国無双4」に遅まきながらはまった私が、さらなる三国志ものを求めて手を出したのがこの漫画。読み始めたら止まらなくなって、文庫で16巻まで、単行本で残りの第33巻、あっという間に揃えてしまいました(単行本2冊がちょうど文庫本1冊分です)。ああ、(また)金欠。ま、それはさておき。

 これは王欣太氏の作品です。原案は李学仁氏となっていますが、冒頭部分などはそのまま引用したものの、他の多くのエピソードは王欣太氏の創作ということらしく、聞けば確かに原作あり漫画とはまた違った画力先行の破天荒漫画という気がしてくるから不思議です。
 また王欣太氏はこの三国志を題材とした漫画を描くにあたって、「三国演義」は一切読まず、「正史」のみを参考にしているそうです。そのためか赤壁の戦いなど、従来とはかなり変わった解釈、展開で描かれていて、これはこれで大変に魅力的なのです。

 第三の、そして決定的な特徴として「曹操」を主役に据えたこの漫画、私が一読してまず感じたことは画力のすごさでした。いわゆる美しい絵、線の綺麗な見やすい絵ではありません。泥臭く、緻密ではあるものの線は汚く、数多ある武将達も顔で描き分けるというよりは、髪型から服装体つきまで含めて無茶苦茶な個性を与えて描き分ける、そんな絵なのです。しかし単純な画力も実はすごいんだと思います。例えば馬の筋肉、今にも走り出しそうなはち切れそうな筋のすじ一つ一つにそれを感じます。
 でもやはり、王欣太氏の絵の魅力は発想力でしょう。特に初期のころはすさまじかった。時として枠からはみ出したり(それも計算ずくではみ出したというより、ちゃんと最初は枠内で書いていたけど後から「これでは足りない!」となってはみ出し部分を描き足した、そんなはみ出し方)、ピカソタッチな画が混じったり(私はこれが大変に好きです)。絵のすごさを言葉で説明するのは難しく、自分で何か描けるわけではない私にはなおのこと難しいのですが、とにもかくにも構図から人物造形、何を描いて何を描かないかの選択まで含めて、引きこまれずにはいられない絵です。本当に凄い。


 登場人物それぞれの造形にも、その画力の凄さはいかんなく発揮されています。ぱっと見て、これはどんな人物なのか、どんな個性を持っているのか、分かるんですよ。これはさりげに凄いことだと思います。
 曹操の端正な顔つきに秘められた鬼のような凄みのある目、劉備の凡庸でありながら笑顔に計り知れない包容力のある目元、いかにも関羽という顔色の(滅多に)変わらない男、張飛のギザギザ髭と潰れた男の笑み。有名どころをと思って、思わず劉備三兄弟から書いてしまいましたが、魏・呉・蜀それぞれ全ての陣営を魅力的に描いている漫画である、という証明にもなるかと思います。
 これでは普通なら劉備に場をさらわれてしまうんですけどね・・・。劉備という人の人気、認知度は日本でも圧倒的ですから。しかしこの漫画の曹操は少しも負けていないどころか、むしろその劉備を手のひらの上で転がしているようなところすらあって、それがまたすごい。そのように描こうと思っても、そう描けるもんじゃないですよ。この漫画の劉備だって、彼一人で主役が出来るほどに本当に魅力的なんですから。

 さて、ではこの漫画の曹操はどのようにすごいのかというと、それがまた言葉で説明するのは難しいのが泣かせ所です。破天荒であり、俺は天に選ばれた男だと言い放ち、その天に挑むかのように自ら死地になんども飛び込んでいき、そして平然と生還し。勉強家でありどん欲に才を求め、部下にも敵にも等しく苛烈さと底知れぬ受容をもって接する。・・・日本で言えば織田信長がこのような描き方をされる人物になるでしょうか。でもやっぱり、曹操は曹操です。特にこの漫画の曹操は、曹操以外の何ものでもありません。
 そんな彼の若かかりし頃から、どんどん歳を取り今はもう晩年(史実ではあと1年で彼は死ぬ)まで、この漫画はじんわり着実に描き続けています。画上でも登場人物たちはしっかり歳を取っていきます。曹操も壮年になれば若い頃とはまた顔がかわり、やがて髪に白いものがまじり、しわができ・・・ある意味容赦ありません。容赦なく、時の流れを、そして人が生きていくということを受けとめさせられます。

 曹操以外の人物も、三国志ですから本当に膨大にいるのですが、やはりどれもみな魅力的でたまりません。こんな人物たちが次々と登場し、そして死んでいく大河ドラマ、本当に贅沢なものを私は見ているんだなと、時々本を置いてはふと息をつくほどです。


 その中でも私は特に荀イク(彧)と曹操の関係が好きです。荀イクは幼少の頃から曹操に軍師として仕えるのですが、途中で一度見聞を深めるために諸国への旅に放りだされます。それから帰ってきた時の台詞、「荀イク文若! ついに、あらゆるものを見聞し、頭の中に天下をおさめて、しかも、それらをすっかり忘れて戻ってまいりましたあ――ッ」(文庫3巻406ページ)は、この人物を端的に表していると思います。
 そういう人なんです。自由な心を持ち、おっとしていて快活で、元は軍師として仕えていましたが「戦にはあまり強くないな」ということで後には政務のほうに回されます(戦術ではなく戦略を考えるようになったとも言えるのですが)。そしてまた後には人を見抜く目を持つ者として、天下に限りなく才を求める曹操のために人材を集める役を負ったりもします。
 彼はとても明るく陽気で、ひょうひょうとした人物なのですが、本当は苦労人でもあります。先ほど引用した台詞にあるような破天荒さを持ちながら、実は儒教の枠からも漢王朝の枠からもはみ出すことは出来ない。それは彼が優しい常識人であるということでもあります。

 対する曹操は決して常識人ではありません。優しくないかというと、それには私は異を唱えるのですが、ともあれ普通にいう常識的な意味での優しさではありません。天下にあまねく才を求めながら、その実彼自身は何者も必要とはしていない。それは文庫版6巻315ページで呂布の配下であった陳宮にすでに喝破されています。そんな曹操のために、あまねく才を集めるのが荀イクなのです。
 それはまた、足りないものを補い合う関係であり、切ない関係でもあります。儒教を破壊し、漢王朝を破壊しようとする曹操。そのともすれば他の全てを、人も歴史もすべてを置き去りにして駆け去ってしまいかねない革新性への重しとして、荀イクは曹操に仕えます。
 優しい常識人の荀イクが、そのような役目を背負わされてしまうこと、そして何より荀イクは殿(曹操)が大好きであるということが、さらに一層その切なさに輪をかけます。
 荀イクは全てを分かっています。それほどに頭のいい人です。優しさすら、彼のほんの一面でしかありません。人すべてに優しくなれるほどに、彼は賢いのです。そういう人なのです。でも曹操は違う。曹操は優しいがゆえに、人に対して残酷になれる人です。この2人は少し歪んだ合わせ鏡です。
 そんな2人が迎える結末は、どうしようもなく切なく、しかし王欣太氏の筆によって描き出される絵はあまりにも美しい。雪の中で踊る荀イク、私はあの絵が一番好きです。


 曹操はたぶん、荀イクのことが羨ましかったのではないかなと思います。他の誰も必要としていない彼が、唯一「羨ましい」と感じたのが荀イクだったのではないかと。何故なら荀イクこそは、唯一曹操と同じものを持っていながら、曹操には出来ない生き方をしているから。それが曹操に、荀イクの最期に際してあの言葉を贈らせたのではないかなと。
 同様に荀イクも曹操が羨ましかったと思います。自分にないものを持ち、自分が捨てられないものをあっさりと越えていく曹操の姿は、荀イクにとってまぶしかったでしょう。そのあまりのまぶしさゆえに、目が潰れてしまうほどに。
 曹操が羨ましかった男。曹操に羨ましいと思わせ、曹操を羨ましく見上げた男。この対となる2人は私にとってもただただまぶしく、まぶしすぎるがゆえに感情がこみ上げてくるのを抑えることができませんでした。

 それもまた、この蒼天航路という果てしない物語の中ではほんの一部分に過ぎないのですが。
 歴史というものは、そして歴史を描くということは、本当に蒼天を往くがごとき、です。

蒼天航路 (1)

蒼天航路 (1)

  • 作者: 李 学仁, 王欣太
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/12
  • メディア: 文庫
 
 

「蒼天航路」シリーズ
 私が踊るのはあなただけ:韓遂と成公英
 何かを求めている若者:馬超


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