エロゲーとか18禁乙女ゲーとかBLゲーとか……メディア論とか [雑記]
ところで私の専門は、社会学のメディア論、その中でもメディア文化論といわれる分野なわけです。いや専門といってもそれでご飯食べているわけじゃないんですけどね。
メディア論とは何か。簡単に説明したいと思います。
我々は普段、友人と「対面」でとか「電話(通話)」でとか「携帯メール」でとか「PCメール」でとか「mixi」でとか、コミュニケーションを取っています。これらは全て別のメディアです(対面がメディアなのかは微妙な問題(ex.言語はメディア))。
さて、誰かを好きになったとします。告白をどのメディアを使ってするか。
普通は対面でしょう。対面以外考えられないという人も多いと思います。しかし今の大学生くらいだと、結構電話やメールで告白というパターンもあったりします(実際にアンケート結果があります)。
これが別れの場面になるともっと結果は残酷で、ちゃんと会わずに電話やメールで済ますというパターンも多くなってくるのです。逆に、例えば遠距離恋愛をしていても、最後だけは顔を見て話をしようと、対面で別れ話をするケースもあります。
どうして対面ならよくて、電話越しやメールの文面だとダメなのか。
また、同じ「あなたが好き」という言葉でも、会って話すのと、電話で伝えるのと、メールで送るのではどう違うのか。何故違うのか。
これを考えるのがメディア論です。
で、どうしてエロゲーが出てくるかというと。今朝私が3時間しか眠れなかったー(自動的に目が醒めた)悲しみの中で、mixiボイスに書き散らしたことのまとめなんですが、発端は今日アマゾン様から4つも荷物が届くよ! 宅配便のお兄さんに中身がエロゲーだと思われたらどーしよーというところから始まっています。それはどうでもいいです。
最近、といっても半年以上前ですが、私はとあるSMコミュニティに知己を得ました。それ以来、色々考えたことがあります。
エロゲーには割とSM的なものというか、調教とか陵辱といったジャンルがあります。BLゲーム(女性向け、男性×男性の恋愛ゲーム)でも割と鬼畜や陵辱は好まれるシチュエーションのようです(もちろん純愛しかダメという人も、男女問わず大勢います)。しかし18禁の乙女ゲーム(女性向け、女性×男性の恋愛ゲーム)では、そういったSM的シチュエーションは好まれないようです。という意見をネットの掲示板で見ました。
何故でしょうか。
私は「男性女性を問わず、自分が被害者になりたいという欲求を公然化することには抵抗があるから」ではないかと仮説を立てました。
エロゲーでも男性がM側であるものはあんまりないわけです(寝取られものくらい?)。BLゲームは完全に第三者の立場で、その時々に応じて都合のいい相手に感情移入して楽しむものです。
純粋にMの立場にある人が主人公+(主に想定される)プレイヤーと同じ性別であるゲームって、基本的にないわけです。言い換えると、(主に想定される)プレイヤーと同じ性別である登場人物がMの側であるゲームはない。
例えば男性向けエロゲーの調教ものを、M女性がプレイして感情移入して楽しむってことも充分ありえるわけですが、それはあくまで主想定ではない、例外的プレイです。
これを肉付けする論理はいろいろ考えられます。ゲームをプレイする行為はそもそも主体的なものだから、どうしても(SMで言えば)Sの側を主人公にせざるを得ない。自分から被害を受けに行くというシチュエーションをストーリーにすることは、客観的に考えて難しい。でもやはり一番の理由は、「被害者になりたいなんてオカシイだろう」という、至って単純な"常識"です。例えそれが現実とは異なっていてもです。
「加害者になりたい」は逆に認められるわけです。ゲームの中でくらい、犯罪者になったっていいだろうという、ソフ倫真っ青の本音。しかしこの本音は世の中に広く受け入れられています。男性向けに限らず、ゲームに限らず、本でも映画でも犯罪者ものは多いです。
Mになりたい人もSになりたい人もいるのです。ただ、客観的に見た場合、(身体的に)Mになりたいという願望は拒否反応を起こされ、Sになりたいという願望には一定の理解が示される。実際のSM世界と非SM世界の狭間でも、比較的似た傾向があるように思います。……身体的に、ね。精神的なサドマゾは、最近とみに社会性を得ていますから。
さらにここにもう一つ、ジェンダー(社会的性差)の問題が加わります。「男性が公然と自分が弱い側に立ちたいという欲求を示すことは認められない」という、根深い問題です。
これらが合わさって、エロゲーやBLゲームではあくまで男性が加害者という設定の元、調教や陵辱といったSM的なジャンルが存在し、女性が主人公の乙女ゲームではそれはないのです。
私の仮説によれば女性がSで男性を調教していく乙女ゲームがあってもよさそうなものですが、とあるSMバーのオーナーさんによると、S女性というのはSM男女4通りの組み合わせの中でもっとも少ないらしい。乙女ゲームは元々ニッチなジャンルですし、その中でさらにニッチなS女性向けというのは難しいのでしょう。
ここに乙女ゲームならではの特殊性も加わります。乙女ゲームはそもそも精神的には女性上位の世界なのです。
俺様(男性向けで言えばツンデレ)な恋愛対象相手に、最初は冷たくあしらわれながらも、いろいろと手を尽くし、最終的には甘い言葉をささやいてもらう。それは一見、女性が男性に尽くしている図に見えますが、実際は逆です。一定の手順を踏めば必ず相手は振り向いてくれること、そもそもゲームはそのために作られていること、大体1つのゲームに複数の攻略相手がいて逆ハーレムと呼ばれる状況であることなどを考え合わせれば、明らかです。乙女ゲームはその名の通り、乙女(女性、S・M問わず)のためのゲームなのです。……じゃあM男性は?
男性向けのわかりやすさに比べて、女性向けのややこしさが面白いところです。
そして一見、性メディアの分野では恵まれているように見える男性のほうが、SM的観点から見るとS男性はよくてもM男性はその欲求を明らかに出来ないという点で抑圧されているとも言えるのです。逆に女性は不自由なようでいて、乙女ゲームとBLゲームを使い分けることで主人公の性別をも超越し、S女性は女性向けゲーム(乙女あるいはBL)で、M女性は男性向けゲームで欲求を満たすという自由闊達な性の謳歌をすることも出来るのです。
ちなみに小説(ハーレクイン)の分野では、結構無理やり襲われて(でも結局好きになる)というシチュエーションが多いと聞いたことがあります。
書き手が1人であり(編集さんがいますが)、読む側も部屋の中で1人こっそり読むというシチュエーションだと、割と「隠されるべき」本音が言いやすい。
これもゲームと小説というメディアの違いがもたらす、「その(メディア)の上に何を乗せるか」というメディア論のお話につながります。
さて、ここまで言ってきてなんですが、私はエロゲーも18禁乙女ゲーもBLゲーもほとんどやったことないのですよ。ホントホント。これくらいは常識の範疇です(そんな日本は嫌だ)。
エロゲーは片手くらい、18禁じゃない乙女ゲーはそこそこやったことありますけど。ただコストパフォーマンスが。あんまりいい分野とは言えないですから。
やはり本に勝るものなし(結論)。
というわけで、今日も私はアマゾン様から本(非エロ)が届くのを待つのでした。
ちなみに明日も届きます。
メディア論とは何か。簡単に説明したいと思います。
我々は普段、友人と「対面」でとか「電話(通話)」でとか「携帯メール」でとか「PCメール」でとか「mixi」でとか、コミュニケーションを取っています。これらは全て別のメディアです(対面がメディアなのかは微妙な問題(ex.言語はメディア))。
さて、誰かを好きになったとします。告白をどのメディアを使ってするか。
普通は対面でしょう。対面以外考えられないという人も多いと思います。しかし今の大学生くらいだと、結構電話やメールで告白というパターンもあったりします(実際にアンケート結果があります)。
これが別れの場面になるともっと結果は残酷で、ちゃんと会わずに電話やメールで済ますというパターンも多くなってくるのです。逆に、例えば遠距離恋愛をしていても、最後だけは顔を見て話をしようと、対面で別れ話をするケースもあります。
どうして対面ならよくて、電話越しやメールの文面だとダメなのか。
また、同じ「あなたが好き」という言葉でも、会って話すのと、電話で伝えるのと、メールで送るのではどう違うのか。何故違うのか。
これを考えるのがメディア論です。
で、どうしてエロゲーが出てくるかというと。今朝私が3時間しか眠れなかったー(自動的に目が醒めた)悲しみの中で、mixiボイスに書き散らしたことのまとめなんですが、発端は今日アマゾン様から4つも荷物が届くよ! 宅配便のお兄さんに中身がエロゲーだと思われたらどーしよーというところから始まっています。それはどうでもいいです。
最近、といっても半年以上前ですが、私はとあるSMコミュニティに知己を得ました。それ以来、色々考えたことがあります。
エロゲーには割とSM的なものというか、調教とか陵辱といったジャンルがあります。BLゲーム(女性向け、男性×男性の恋愛ゲーム)でも割と鬼畜や陵辱は好まれるシチュエーションのようです(もちろん純愛しかダメという人も、男女問わず大勢います)。しかし18禁の乙女ゲーム(女性向け、女性×男性の恋愛ゲーム)では、そういったSM的シチュエーションは好まれないようです。という意見をネットの掲示板で見ました。
何故でしょうか。
私は「男性女性を問わず、自分が被害者になりたいという欲求を公然化することには抵抗があるから」ではないかと仮説を立てました。
エロゲーでも男性がM側であるものはあんまりないわけです(寝取られものくらい?)。BLゲームは完全に第三者の立場で、その時々に応じて都合のいい相手に感情移入して楽しむものです。
純粋にMの立場にある人が主人公+(主に想定される)プレイヤーと同じ性別であるゲームって、基本的にないわけです。言い換えると、(主に想定される)プレイヤーと同じ性別である登場人物がMの側であるゲームはない。
例えば男性向けエロゲーの調教ものを、M女性がプレイして感情移入して楽しむってことも充分ありえるわけですが、それはあくまで主想定ではない、例外的プレイです。
これを肉付けする論理はいろいろ考えられます。ゲームをプレイする行為はそもそも主体的なものだから、どうしても(SMで言えば)Sの側を主人公にせざるを得ない。自分から被害を受けに行くというシチュエーションをストーリーにすることは、客観的に考えて難しい。でもやはり一番の理由は、「被害者になりたいなんてオカシイだろう」という、至って単純な"常識"です。例えそれが現実とは異なっていてもです。
「加害者になりたい」は逆に認められるわけです。ゲームの中でくらい、犯罪者になったっていいだろうという、ソフ倫真っ青の本音。しかしこの本音は世の中に広く受け入れられています。男性向けに限らず、ゲームに限らず、本でも映画でも犯罪者ものは多いです。
Mになりたい人もSになりたい人もいるのです。ただ、客観的に見た場合、(身体的に)Mになりたいという願望は拒否反応を起こされ、Sになりたいという願望には一定の理解が示される。実際のSM世界と非SM世界の狭間でも、比較的似た傾向があるように思います。……身体的に、ね。精神的なサドマゾは、最近とみに社会性を得ていますから。
さらにここにもう一つ、ジェンダー(社会的性差)の問題が加わります。「男性が公然と自分が弱い側に立ちたいという欲求を示すことは認められない」という、根深い問題です。
これらが合わさって、エロゲーやBLゲームではあくまで男性が加害者という設定の元、調教や陵辱といったSM的なジャンルが存在し、女性が主人公の乙女ゲームではそれはないのです。
私の仮説によれば女性がSで男性を調教していく乙女ゲームがあってもよさそうなものですが、とあるSMバーのオーナーさんによると、S女性というのはSM男女4通りの組み合わせの中でもっとも少ないらしい。乙女ゲームは元々ニッチなジャンルですし、その中でさらにニッチなS女性向けというのは難しいのでしょう。
ここに乙女ゲームならではの特殊性も加わります。乙女ゲームはそもそも精神的には女性上位の世界なのです。
俺様(男性向けで言えばツンデレ)な恋愛対象相手に、最初は冷たくあしらわれながらも、いろいろと手を尽くし、最終的には甘い言葉をささやいてもらう。それは一見、女性が男性に尽くしている図に見えますが、実際は逆です。一定の手順を踏めば必ず相手は振り向いてくれること、そもそもゲームはそのために作られていること、大体1つのゲームに複数の攻略相手がいて逆ハーレムと呼ばれる状況であることなどを考え合わせれば、明らかです。乙女ゲームはその名の通り、乙女(女性、S・M問わず)のためのゲームなのです。……じゃあM男性は?
男性向けのわかりやすさに比べて、女性向けのややこしさが面白いところです。
そして一見、性メディアの分野では恵まれているように見える男性のほうが、SM的観点から見るとS男性はよくてもM男性はその欲求を明らかに出来ないという点で抑圧されているとも言えるのです。逆に女性は不自由なようでいて、乙女ゲームとBLゲームを使い分けることで主人公の性別をも超越し、S女性は女性向けゲーム(乙女あるいはBL)で、M女性は男性向けゲームで欲求を満たすという自由闊達な性の謳歌をすることも出来るのです。
ちなみに小説(ハーレクイン)の分野では、結構無理やり襲われて(でも結局好きになる)というシチュエーションが多いと聞いたことがあります。
書き手が1人であり(編集さんがいますが)、読む側も部屋の中で1人こっそり読むというシチュエーションだと、割と「隠されるべき」本音が言いやすい。
これもゲームと小説というメディアの違いがもたらす、「その(メディア)の上に何を乗せるか」というメディア論のお話につながります。
さて、ここまで言ってきてなんですが、私はエロゲーも18禁乙女ゲーもBLゲーもほとんどやったことないのですよ。ホントホント。これくらいは常識の範疇です(そんな日本は嫌だ)。
エロゲーは片手くらい、18禁じゃない乙女ゲーはそこそこやったことありますけど。ただコストパフォーマンスが。あんまりいい分野とは言えないですから。
やはり本に勝るものなし(結論)。
というわけで、今日も私はアマゾン様から本(非エロ)が届くのを待つのでした。
ちなみに明日も届きます。