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「名無しのヒル」:お前って本当に馬鹿だなあと笑う [小説]

 これはシェイマス・スミスの三作目の作品です。「デスノート」の記事の時にちょっと名前を出しましたが、彼は一貫してノワール小説を書き続けてきた作家です。

 第一作「Mr.クイン」はなんというのか・・・、読後の気持ちはまさに「爽やかに鬱」。なるほど、これが爽やかに鬱ってものなのかと、ある種の感動すら覚えるものでした。
 内容は犯罪組織のブレーン的役割をしている、一匹狼で頭の回る犯罪者が、自分の計画のために次々と人を殺していく話。それが彼本人の一人称で、ユーモアたっぷりの軽快な文体で綴られます。そりゃもう相手は一家皆殺し、しかもそこに首を突っ込んできた子供のいる女性記者にも彼は遠慮はまったく、しません。
 軽々とジョークを飛ばしながら、それも頭の悪いジョークではなく、人生の深淵を覗き見た人間が口笛を吹いてみせる、そんなシニカルさでもって間断なく人を笑い、笑わせ続けていくのです。語り口はいたってポップです。そうやって、殺し続けていくのです。そこにためらいは微塵もありません。「それが仕事だから」と言わんばかりの軽さです。そして時々ふと、我に返ってみせる。「なあ?」と。私はそれが一番怖く、同時に惹き付けられたものでした。
 こんな気持ちを味あわせてくれる小説など他にありません。普通、「爽やか」と「鬱」は両立しないんです。私はこのやり場のない気持ちをどうしたらいいのか、作者の方に責任を取って欲しい気持ちでいっぱいだったくらいです。ちなみに裏表紙の折り返しに写真が載っていますが、どうみても堅気の方ではありません。

 ともあれ、私はこの「Mr.クイン」をお気に入りの棚に収納しました。そして二作目が出たら、それもまたすぐに買いました。・・・懲りない性格なのです。
 「我が名はレッド」というその作品は、今度は復讐劇。幼い頃、孤児になった彼と弟は、修道院が運営する孤児院に収容されます。ところがそこはひどいゲシュタポ(強制収容所)でした。そして弟は死にます。彼は復讐を誓います。そして実に20年もの歳月が経った後、彼はそれを開始するのです。もちろん今度も何の容赦もありません。赤子までも利用します。さらにそこに、彼の思惑とはまったく別の、猟奇殺人犯が絡んできます。
 一作目も、主人公クインの実に頭の良く用意周到な犯罪劇が楽しめましたが(楽しんでいいのかは別にして)、この作品も別々の視点から物事が複数同時進行していくという、ミステリとしても純粋にレベルの高い作品でした。さらにそこに、アイルランドの孤児院問題という社会派的要素がにじんでいたことに、軽く驚いたものです。

 ちなみにこの作品も、読後感は鬱でした。今度は爽やかにというよりは、「やりきれなく鬱」だったかな・・・。まだ矛盾は少ないです。それにしても、このやりきれなさの方向はまた徹底していて・・・全てに対して鬱なんです。彼をそう追い込んだ社会状況に対しても、それで彼がやったことに対しても、そして結局彼が辿り着いた場所についても。またしても、こんな読後感って他にはないだろうなという希有な作品でした。


 そして先日、私は三作目が翻訳出版されていたことを知りました。その日の内に本屋に買いに走ったわけです。どこまでも、懲りません。

 「名無しのヒル」と名付けられたこの作品は、今度は一風変わっています。これは純粋なノワール(犯罪者)小説ではありません。むしろ社会派ミステリというべきでしょう。主人公は収容所に入れられますが、それは無実の罪によるものです。では期待を裏切られたのかというと、そんなことはまったくない。
 やはり作品の底に流れる、徹底したやりきれなさは変わらないのです。しかし今回は、どうしてやりきれないのか?がある程度明確に示されています。
 なんでもこれは作者の自伝的小説だそうですが・・・。なるほど、作者シェイマス・スミスの人生観、そして人間観とはこういうものなんだなと分かる気がする作品です。

 舞台はアイルランドです。イギリスとIRA(反英武装組織アイルランド共和軍)の紛争地帯、そこで普通に暮らし青春をおくっている青年が、ある時ちょっとしたミスというか不運というかで、IRAであるというレッテルを貼られ濡れ衣を着せられて、収容所送りになります。といっても、それすらその地域では普通のこと、ありふれたことなのです。だからといって、収容所のひどさは変わりません。人権なんて言葉はどこを探しても見あたらず、ただあるのは静かな憎悪だけ。その憎悪はIRAではない青年、それをバカだと思っている青年すら、IRAに変えてしまうほどです。
 つまり、イギリス人は彼らにIRAという濡れ衣を着せて拘禁するのですが、拘禁することによって彼らは本物のIRAになっていくのです。見事なまでの負の連鎖がここにはあります。

 けれどそんな中でも、主人公ヒルとその仲間たちはバカな冗談を飛ばし合い、女の子のことで騒ぎ、いかに逃げるか無邪気な想像を弄び、そして実行しようとします。ここには紛れもなく青春の縮図があります。こんな場所でも、こんな時でも、若者は若者であり、馬鹿で無茶で愚かで、生命力に溢れた存在なのです。
 私は読みながら何度も、「お前らって本当に馬鹿だなあ」と言ってやりたくなりました。この小説もやはり主人公の一人称で、時々こちらに語りかけてくるかのように書かれていますから、なおさら思わずそういう気持ちになるのです。実際に顔を合わせたとしても、言うことはやっぱり「馬鹿だなあ」だと思います。・・・そうしながら泣いていると思いますが。

 脱走計画は何度も失敗します。そしてその度に彼らは殴られ打ちのめされ酷い目に遭います。それでも彼らは諦めません。逃げることを、なによりも屈服しないことを。・・・本当に、馬鹿だなあと思うのです。思いながら泣いて、笑うのです。
 主人公のユーモアセンスはこの作品でも変わりません。機関銃のように次々と、こちらを笑わせる言葉が投げられます。そして彼自身も笑っています。この現実を。笑い飛ばすことで彼は静かな憎悪に捕らわれることもなく、この狂った世界で狂わずに生き抜こうとするのです。

 主人公は、そして作者は、必ずしもイギリスばかりを非難しているわけではありません。むしろ非難している部分を頑張って探さなければならないほどです。またそれが、どちらかと問えばイギリス側に分類されるであろう西側先進国諸国の一員としては、居心地悪くなるのです。
 IRAのことは何度も愚かだと言っています。けれどもIRAになってしまう人々、特に若者たちに対しては同情的に書いています。でも彼が一番尊敬してるのは、イギリス軍にお茶を振る舞い、気丈に必要品をたずさえて収容所に面会にやってくるおばあちゃんです。
 ここには徹底したリアリズム(現実主義)と、未来を志向しようとするエナジィがあります。後者の源は彼らが若者であることに求められるでしょうが、リアリズムな目線は全ての若者が持てるわけではありません。主人公のヒルは頭が良く、そして客観的に物事を見ることが出来る人間であり、何よりもユーモアのセンスがあったのです。だから彼は最後までリアリストでいられた。

 そしてこのヒルが作者の過去であったと聞くと、ああなるほどなと思うのです。シェイマス・スミスの徹底した現実への醒めた目線、そして絶え間ないユーモアのセンス、常に悪を描きながら悪に溺れることはなく客観性を保ち、どこかで踏みとどまっている一匹狼的な部分。全ての源はたしかにこの作品の中にあります。

 さてこの作品の読後感は・・・「なるほどな」でしょうか。「納得した鬱」でした。・・・やっぱり鬱なんですが。でも、読むべき価値のある作品だと思います。

名無しのヒル

名無しのヒル

  • 作者: シェイマス・スミス
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2004/09/23
  • メディア: 文庫

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