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「殺人小説家」:優しい小説家 [小説]

 この作品はデイヴィッド・ハンドラーのホーギーシリーズ8作目にして最新刊です。といっても過去7作はすでに絶版。新刊書店でその姿を見ることはめっきり難しくなりました・・・しくしく。私は悲しい。というのもですね、このシリーズは私にとってミステリの中でも三本の指に入るほど好きなシリーズなのですよ。でも売れてない・・・。

  というわけで、以下これがどのようなシリーズなのかの紹介兼押し売りです。

 主人公の名前はスチュワート・ホーグ、通称ホーギー。かつてはデビュー作が一世を風靡し、新進気鋭の作家と呼ばれていましたが二作目が書けないというスランプに陥り、さらに恋に落ちて妻とした才能ある女優のメリリー・ナッシュとも別れ、失意のどん底にあります。そんな彼が食べていくために選んだのがゴーストライターという仕事。有名人が書く自伝などを、本人に代わって文章にする役割です。
 彼はなぜかこの分野では素晴らしい才能を発揮します。ホーギーに仕事を頼んでくるのは、大抵が人生に転落しかかっている元有名人たち。ここがいかにもアメリカらしいなと思うのですが、彼らは自らの自伝を発表し、その中で自分の主張を語ることで、人生の一発逆転を狙っているのです。

 それは有名ミュージシャンであったり、ホーギーと同じ作家であったり、元人気コメディアンであったり、かつて天才と呼ばれた映画監督であったりします。あるいはまた、母が残した偉大なベストセラーの続編を、彼女が残した資料を基に書いて欲しいという依頼だったりします。元有名人達は架空の人物ですが、微妙に実在する人物を思わせる部分があって、そのモデルとなった人物達と重ねて読むのも楽しみの一つ。他にも文章中にはたくさんの、実在のアメリカの有名人達の名前が登場します。
 ホーギーは元有名人達の物語を彼らに替わって綴るために、彼らと会い、彼らと語り、彼らの過去を掘り返します。その度に起こる血なまぐさい事件。・・・というのが大体の筋書きです。

 作者のデイヴィッド・ハンドラーはTVドラマなどの脚本家でもあり、また実際にゴーストライターの経験もあるそうで、非常にお洒落でウィットに富んだ言葉遣いが特徴です。それは時として鼻につくほどですが、そもそも主人公のスチュワート・ホーグが今時スノッブ趣味でイギリスかぶれのアメリカ人。人の神経を逆撫ですることに長け、でもそれが作家でありゴーストライターである自分には適した素質なのだと信じて疑わない人物なのですから、ご愛敬です。
 ホーギーは挫折と失恋という二つの大きな傷を抱えています。そのせいか、彼がどんなに格好を付け、強がりを言い、人に対して斜に構えていても、なぜか傲慢で強い人間だとは思えない。むしろ彼の抱える痛々しさが、ホーギーのユーモアに苦い渋みを与えています。

 そんな彼にいつも寄り添うのが愛犬のルル。バセットハウンドという品種で、犬の癖になぜかシーフードが大好き。気弱で寂しがりやで、でもお調子者なお嬢さん。
 別れた妻のメリリー・ナッシュはトニー賞を何回も受賞し、アカデミー賞にもノミネートされたことがある女優。しかし彼女の真の美しさは外面以上に内面にあります。輝くような魅力と、ホーギーを誰よりも理解する優しさを持ちながら、でも彼らは一緒にいるとなぜか傷つけあってしまう。そんな二人のくっついたり離れたりの恋愛模様も、シリーズ通しての楽しみです。
 他にも魅力的な登場人物たちが大勢、シリーズを彩ります。このあたりはいかにも作者がTVドラマを書いていたんだなと思わせる、キャラづけ、および人物配置の妙を感じます。


 さて、その最新作となるのがこの「殺人小説家」。ホーギーの元に今度は作家になりたいと名乗る読者から、手紙と原稿が送られてきます。その作品の出来にホーギーは驚嘆しますが、同時にそれとまったく同じ内容の実際の殺人事件が起こって・・・。というのが、物語の導入。

 シリーズ8作目としての円熟を充分に感じさせる作者(と訳者)の筆運び。またこれを最後にハンドラーはこのシリーズを一旦休ませ、別シリーズを開始したそうなんですが、区切りとなる物語に相応しい作者の気合いを感じます。ミステリとしても上等ですし、またなんというか・・・このホーギーシリーズの魅力は単に謎解きだけではなく、ホーギーと依頼者達、また犯人及び容疑者達が繰り広げる心理合戦にもあるのですが、その心と心のやり取りが実に深く、そしてもの悲しく語られます。 
 個人的にはシリーズの中でも上位三つに入る出来だと思います。(他に大抵評判がいいのは、「女優志願」や「猫と針金」、「フィッツジェラルドを目指した男」かな)

 ホーギーとメリリーの恋愛などのサイドストリーはシリーズ通して読む面白さがありますが、一つの事件、ミステリとしてはもちろんこの一冊で充分に完結しているので(文中での人物紹介・説明もちゃんとありますし)、これから読んでも充分に楽しめると思いますよ、どーですかお客さんっ。


 ・・・まあ、それはさておき。
 私はこの作品を読了して、ちょっと分かったと思うことがあります。(以下、別にネタバレではありません)。

 このシリーズは「ゴーストライター」というテーマがあるからでしょうか、他のミステリよりも犯人の心理面、動機に重点が置かれている部分があります。もちろん物理的なトリックもしっかり考えられているのですが、彼らが何故犯行を重ねるのか、彼らは犯行をすることで何を目指しているのか、ホーギーは現実に対する鋭い観察眼を発揮する一方で、それらを深く追求していきます。
 いかにも作家でありゴーストライターである彼らしいアプローチの仕方ですが、そのおかげでミステリにはお約束である、全ての謎が解明される最後の探偵と犯人の対決場面。彼(ホーギー)はしょっちゅうそこで死にそうな目に遭います。ここまで犯人に殺されかける探偵も珍しかろうと思うくらい、というか君はもうちょっと学習能力というものを身に付けた方がいいよと思ってしまうくらい、ホーギーは犯人と一対一の対決に拘るのです。

 どうしてなのか。彼はたぶん、優しいのでしょう。優しいがゆえに犯人を知ろうとする。そして優しいがゆえに、最後に追い詰める時まで犯人に対してフェアであろうとする。それは彼のスタイルでもあります。
 優しさは作家には必須の技能です。他者を知ろうとする、理解しようとする優しさは、作家に人間というものに対する深い洞察力を与えます。
 その一方で、ホーギーは小説家としては優しすぎるのです。優しさは小説家に必須の才能ですが、同じくらいの冷酷さも作家には必要です。人にとっての真実を暴き立てるということは、本質的に冷酷なことですから。

 ホーギー自身の小説は(1作目を除いて)売れないんですが、私にはその理由が分かるような気がします。優しさは往々にして甘さでもあります。彼は甘いのです。
 ホーギーが書いているのは自分やその周囲の人間達を題材にした私小説らしいのですが、この甘さが自分に向けられる時、そりゃいかにも甘ったるく自己憐憫に満ちた、真実を語っている癖にそれが読者にどう受けとめられるかまで計算できていない、へたくそな(ごめん)小説になるんだろうなあと思います。
 でもゴーストライターとしては有能。その理由も分かります。有名人達は違う。彼らは語りたいのです。自分をさらけ出したい、そしてそのことによって何らかの利益を得たい。彼らはずるくて卑怯な、でもしっかりとした目標と目的を持った人間達です。そういう人間はちゃんと他者に対しても自分に対しても冷酷になれます。どちらかといえば酷薄すぎるくらいです。追い詰められた人間は世間に対して牙をむく。でもそこにホーギーの優しさが加わると、ちょうどよい上質の作品(自伝であったり小説であったり)が生まれるのでしょう。
 ・・・なかなか人生、(ホーギーにとって)難しいものです。


 これは優しい小説家の物語です。彼が人生に挫折と失敗を繰り返し、それでも自分のスタイルを貫き通して生きていこうとする、少し甘くて苦い、洒落た大人の物語です。
 私はスタイルという言葉が好きです。姿、恰好、様式、文体。スチュワート・ホーグにはスタイルがあります。どんな困難に遭ってもそれを捨てない、また諦めない、今時貴重な人間です。
 そんな小説家と出会えるのが、このハンドラーのホーギーシリーズです。・・・どうですか、お一つ。

 講談社BOOK倶楽部:殺人小説家

IN-POCKET:訳者による作品紹介ページ「ホーギーが帰ってきた!」

殺人小説家

殺人小説家

  • 作者: 北沢 あかね, デイヴィッド・ハンドラー
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: 文庫

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